ラストデイ、ラストダンス

 年末の特別なシフトで、いつもの酒場が昼から営業している。昨日は、数年前にその店の学生バイトだった子が手伝いに来て、古馴染みの常連もゾロゾロと集まった。この時期の特別さというか、寂しいけどリラックスしているという不思議な気分なのだ。懐かしい顔もある。泣いてしまいそうだ。

 仲の良い常連のひとりが、いつもよりも酔っていた。このレベルのヘベレケは初めて見たので、面白くてずっとイジッていた。反応も鈍く呂律も怪しい、絵に描いたような酔っ払いだ。ちなみに僕は、呂律の回らない人のことを内心で「ろれっつぁん」と呼んでいる。これは僕しか知らないことだ。

 このろれっつぁんとの会話は、いつも他人を意識して笑わそうとする作為的なものだ。話しているコチラは当然のこと、聞いている側にもそれは伝わっている。素人の「辻漫才」みたいなやり取りを目指しているのだ。もちろんネタなんてない。その場で思いついたオモシロを交互に出し合うだけ。

 その審査員は、その店のバイト女子たちだ。その子たちを笑わすために、笑顔を見るために必死に話している。できれば、自分が面白いと思う言葉や雰囲気を共有したいと思っている。昨日は、相方がヘベレケなので辻漫才のようにはいかなかった。ただ、そのポンコツさでいつもよりウケていた。

 すこし話を戻して、冒頭の「年末の寂しさ」について考えた。一年の区切り目となる大晦日と元旦が、過ぎ去った時は取り返しがつかないってことを突き付けてくる。今年のやり残しは、来年以降しかやり遂げることができないのだ。それは仕事のことだけじゃなく、人への接し方なども含まれる。

 言えなかった言葉や、優しくできなかった場面がフラッシュバックする。そういう場面への反省と、でも、絶対に間に合わないという諦観から気持ちが切り替わり、平静を取り戻す。とても優しい気持ちなのだ。いまなら大抵のことは許せるから、僕に後ろめたいことがある人はチャンスだと思う。

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最寄駅からの帰り道、オレンジの棒に隠れた石造の物体に何度も躓いたものだ。