自然のなかで無力な人間

 サバイバルの知識がある人は、逞しいと思う。手持ちの数少ない持ち物を活用して、不意のトラブルに対処することができる。それはアイデアを持った人間ということだ。日頃から考えているということだ。何も考えていない人はいないけれど、生き延びる手段を考えて生活する人は少ないだろう。

 最近はトレーニングで体を絞ったり、筋肉をつけたり、スタイル良く仕上げている人が増えている。そういう人の筋肉は、サバイバルでは役に立つのだろうか。想像でしかないが、サバイバル向きな筋肉ではないような気がする。筋トレは、どちらかというと精神安定剤に近い行為のように思える。

 無人島に複数の人間が閉じ込められた状況などでは、最初期の段階では筋肉がものを言うかもしれない。体を鍛えている者が、フィジカルの強さで他を制することができるからだ。それは、無人島のボスになるということ。ただ、サバイバルの知識がなければ、それは単に圧政を強いることになる。

 僕がサバイバルと聞いて最初に思い浮かぶのは、火の起こし方だ。どうしても木と木を擦り合わせて発火させる図が思い浮かぶのは、何がオリジナルになっているのだろうか。それと肩を並べる発火法としては、虫眼鏡で黒点を照らし続ける方法がある。どちらかといえば、虫眼鏡の方が現実的だ。

 僕は、山奥で自給自足の生活をするような老後に漠然とした憧れを持っている。でも、間違いなくそんな生活はしない。自分に甘いからだ。サバイバルの知識がある人も、筋トレで自分の体を鍛えている人も、ちゃんと自分に厳しい。僕のように甘い人間が生き残るためには、貯金くらいしかない。

 昨日、富士山周辺での仕事を終え、帰りの高速道路で東京に向かう途中で濃霧に覆われた。霧の中の運転は怖いものだが、日中だったのでなんとか走ることができた。霧に限らず、不意に襲われる自然現象にも対処しなければいけない。それがサバイバルというものだ。自然は人間の味方ではない。

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横須賀あたりの海岸線。海辺の工場地帯は好きだけれど、海は苦手だ。