ジョークの気分じゃないけれど

 見た目には明るく見えても、実際には悲しみを抱えているというのが、人間がもっとも重厚に見える瞬間だと思う。我慢して明るく振る舞っているという単純なことじゃなく、どんなに性格的に陽性だったとしても耐えられない不幸があって、それでも笑っていなければいけないというのがエモい。

 逆に、悲劇的な状況の人でも、絶妙なタイミングのオナラを聞いてクスッと笑うことはあると思う。そうやって笑って、我に返って、まだ大丈夫だと思えることもあるんじゃないだろうか。僕のように絶望を知らない脳天気な人間には分からないことだが、でも、笑って救われることはあると思う。

 僕が子供の頃に観た映画で、ビートたけし主演の「哀しい気分でジョーク」という映画があった。このタイトルが秀逸だなと思っている。主人公が芸人の役で、私生活での哀しみを見せずに、表舞台でジョークを言っている姿を表している。映画の内容は覚えていないが、忘れられないタイトルだ。

 日本の徳川時代独裁国家だったわけだが、その頃の人々だって笑っていたはずだ。どう考えても不平等な身分制度があったけれど、生活の中には小さな笑いが生まれると思う。不意の笑いというとオナラくらいしか思いつかないけれど、小さなコミュニティの中にセンスの良い若者がいたはずだ。

 ちょっと落ち込むこともあるが、そんな時でも「笑い待ち」みたいなところがある。なんか笑えそうだなと思えると、心が回復している証拠だ。それは、怒っている人にも言えることなのだが、一度怒ってしまうと拳の下ろし方が分からなくなるものだ。そんな状況では笑いが入り込む余地がない。

 具体的な表記は避けるが、いま世界でもっとも哀しみに包まれていると思われている彼の国の人々は笑えているのだろうか。そして、その国を悲しませている国の一般の人々に笑いはあるのだろうか。日々の小さな笑いで心が安まることを祈る。無理して笑うんじゃなくて、自然に笑えるのが良い。

何もない長閑な日常。天気も良いし予定もない。それでも哀しみは消えない。