君に甘いチョコレート

 この世に記念日であるとか、ある日付けにイベントを紐づける風潮があるから悲しい思いをすることになる。個人の誕生日などでも、その日に「祝われない」人がいたら、それは悲しい日になってしまう。もちろん、不惑を過ぎた僕が誕生日を盛大に祝って欲しいわけじゃないけれど、例えの話だ。

 時候の挨拶で、この時期になると「チョコもらった?」と聞かれる。もらってないので「否」と返すと、寂しい中年男を蔑みを込めた目で見てくる。年末のジーザス誕生日の時にも同様の視線を受け取っているので、軽いデジャヴのめまいに襲われる。こうして、寂しさを強制的に実感させられる。

 もしかして、こうして独身男を寂しさの責め苦で追い詰めることで、現在の少子高齢化社会に歯止めをかけようとしているのかもしれない。世の中からの疎外感から、自分もチョコの譲渡に関わりたいと思うようになる。それが後々、恋愛に発展して、さらには結婚という流れになる可能性もある。

 そういえば最近は、このように安易に結婚に誘導するような流れも批判の対象になるようだ。男女関係の多様性を認めて「結婚という制度で自由を縛るな」という意見だろうか。僕はこの点に関して意見を持っていないので、意見を持っている方の武装された理論には敵わないので早々に撤退する。

 いち個人の僕は社会的な生き物なので、世の中での立ち位置を多少は意識して生きている。この歳で独身は肩身が狭い。そんなこと言う時代でもない。この両方の意見の狭間で、それでも働いて生きていかなければいけない。仕事先でも半笑いで独身をイジられつつ、でも自由でいいなと言われる。

 その自由の対価が「いい歳して独身だとイジられる」程度のペナルティなら、僕は別にそれを受けても構わない。多少の生き難さは享受したいと思う。それくらいのストレスがある方が楽しい。いや、厳密には楽しくはないが、社会の摩擦の中で揉まれている感覚は生きている実感のようなものか。

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チョコレートの代わりに、辛さの効いたカレーを僕にくれないか?