無力なうしろだて

 おそらく数年前に、誕生日プレゼントとして母親に手帳をあげて以来、毎年の手帳を買う役を割り振られた。祖母の介護日記的なものを簡易なノートにつけていたので、綺麗な手帳の方が気が紛れるかと思ったのだ。本当に、その手帳には日々の祖母の体調に関するメモしか記されていない様子だ。

 毎年この時期になると自分用の手帳を買うのだが、何年も同じ型のものを使っていて飽きない。お気に入りというほど愛でている感じでもないが、まったく不満がない。見た目に地味なので人に薦めたりしないが、この手帳だけで事足りてしまう。手帳のサイズに合わせて仕事しているとも言える。

 仕事の量を増やすために手帳を大きくしてみようかな、なんて考えてみる。でも、このサイズが僕の仕事のキャパシティなんだと思うと、必要なリミッターのようにも感じられる。限界を自分で決めてしまうのはダサいので、むしろ手帳に限界を決められてしまうくらいが丁度良いのかもしれない。

 その道理で、母親の手帳も変えようと思ったけれどやめた。ページいっぱいに書き込むタイプなので、いまの手帳もビッシリと文字が書き込まれている。サイズ的に不便かと思って「大きくしようか?」と聞いたら「同じで良い」とのこと。きっと大きくしたら、記入する文字の量が増えるからだ。

 祖母が、日常生活に手がかかるようになってしまったので、仕事をやめて面倒をみている。働いている頃は愚痴をこぼしながらも、今よりは元気だったと思う。確かに年齢のせいもあるのだろうけれど、働いていた時のようなやり甲斐が見出せないのだろう。だから手帳を字で埋めてしまうのかも。

 手伝いたいとも思うのだが、そうすると特にやることもなかったりする。祖母は自力で動けるし、方言がキツく耳も悪いので聞き取りにくいとは言えコミュニケーションもできる。具体的な仕事はなく、でも日頃の不調には敏感に対応しないと不機嫌になるようだ。僕は母親を見守るしかできない。

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母親の介護ストレスを和らげる防潮堤になりたい、なんちゃって。