雨の日にきみ想う

 音楽を聴くと言われて僕が想像するのは、いわゆるポピュラーミュージックを聴くということだ。ポピュラーの概念は人それぞれにあるだろうけれど、ここではCDショップで市販されている作品のことと捉えてほしい。その中でクラシックやジャズ、ワールドミュージックなどを除外したものだ。

 音楽誌的な解釈は置いて、いわゆる現代の商業ベースで流通している作品群のことをポピュラーミュージックとして仮定する。その作品群は、人間ひとりが生涯をかけて聴き終えることができる量じゃないと思う。総時間を数えたことがないので断言はできないが、少なくとも僕には不可能だろう。

 僕はまったく演奏をしないけれど、音楽を聴くのは好きだ。演奏をしないので、技術的な良し悪しで聴くことはなく、基本的にはメロディを重視している。限られた音階の中で、メロディのパターンには限界があるようにも思う。でも、今のところまだ新しい感動を得られることがあるから大丈夫。

 メロディにも起因するのだろうけれど、曲調というのも惹かれる要素だ。いろいろ雑誌などで読んできたところで言うと、どうやら僕は英国的な湿っぽさが好きらしい。憂いとも言う。逆にアメリカの曲調はカラッとして、乾いた音像などと記される。そういう指標のもとに美メロ探究から始めた。

 ただ、美メロは甘い曲が多いので、血気盛んな若者には物足りなかったりする。高校生の僕のアンテナにも、甘くポップな美メロの曲は刺さらなかった。僕に最初に刺さった洋楽は、長尺のハードロックの曲だった。しかもギター主体のインスト曲で、クラシックからの影響が強く出たものだった。

 それでも、その曲は美しいメロディを持っていたと思う。湿り気も憂いも、美メロの構成要素のすべてを押さえていたのだ。その上、若い男子のメラメラ燃える闘志に火を注ぐような、ハードエッジな部分もある。退屈な学校生活に対する僕のアンセムとして、それらの曲から大きな力をもらった。

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このラーメンを出す店では、日本のロックレジェンドのあの人の曲しか流れない。