聞こえるかい、僕の友だちよ

 学校を卒業して最初に勤めた会社で、イチバン苦戦したのは電話での応対だった。学生時代は実家か友だち、せいぜい彼女の実家にドキドキの電話をするくらいのものだった。バイトが部活で斡旋される力仕事ばかりだったので、社会との接点も希薄なまま会社員になってしまった。つまり未熟者だ。

 一週間は研修で、会社の業務内容から製造部門の体験のようなことを経て営業課に回された。電話は新入社員が出るらしいのだが、そんな慣習も知らないのでボ〜ッとしていたら怒られた。そんなの「知らんがな」と思いつつ電話に出ると、相手が何を言っているのかがまったく聞き取れないという。

 電話をかけてくる相手はお客さんで、そこの会社には何度も電話をしているので慣れている。だから話し方も適当というか、あまりはっきり話してはくれない。慣れた社員なら、出だしの文言と声ですぐに誰だか分かるし、そこから来た電話ということは何の用事かということも察することができる。

 僕は、小さい頃から人の話を半分で聞くようなところがあった。話す内容を理解しつつ、今の言葉は他の「あの言葉と似ているな」などと考えてしまうのだ。それは、父親の友だちで我が家にもよく来ていたダジャレおじさんの影響が強い。僕もダジャレが言いたくて、そればっかり考えていたのだ。

 誰かの言ったことを、理解してから脳内で別言語に変換して返してもタイミングが遅いのである。聞きながら考えないと、会話の流れで差し込めないのだ。そうやって、いつでも話をサウンドとして捉え、似た音を探す耳に鍛えてしまったのだ。その頃の僕はダジャレ製造機と言っても過言ではない。

 この機能は、現在使われてれていない。ダジャレ変換して本筋の話を忘れてしまい、聞き返すことが増えたからだ。人に何度も話を聞き返すのは面倒なので、結局よく分からないまま済ませてしまう。それは次第に信用を失うことになるので、役に立たないダジャレ変換機能など捨て去ることにした。