はじける音も聞こえない

 僕らが子供の頃は、メディアの王様は完全にTVの時代だった。すべての情報はブラウン管の映像からもたらされる一方通行の放送だ。たまに「電リク」という、つまり電話によるリクエストで情報を募る番組もあったと記憶している。ひな壇にオペレーターが並び、ひたすら電話を受けるものだ。

 まあ、電リクの話は別に関係ないのだが、思い出したことを書き連ねていると文字数が稼げるのだ。それに、話題の枝葉が飛んだ方が、思いもよらない場所に着地できる。電リクで思い出したのは、オペレーターがすらりと伸びた脚を強調する衣装を身につけていたこと。あからさまに卑猥なのだ。

 司会者がたまにオペレーターの女の子に話しかけて、くだらねーギャグをかましたりしていた。子供心にも「くだらねー大人」の象徴として刻まれたものだ。あんな風にはなりたくねーと思いつつ、オッサンのクセにキレイなお姉さんと絡めて羨ましいなぁと心の底では思っていたような気がする。

 僕の年代は、普通に大学を卒業して就職したりするとバブルの恩恵を受けられない世代だと思う。それ以降もバブルの亜種はあったので、そういう後発の波に乗った人はいるだろう。ただ、少なくとも僕は、一度も好景気の波に乗ったことがなく、現状もシケた毎日を過ごすアラフィフの中年男だ。

 そんな僕にとって、バブルに浮かれた状況を知るのはTVの画面の中だけだ。街に出ても、学生が行くような場所で景気の良さを知る機会はあまりなかった。だから、実感というより、どこか別の世界のニュースのような気分でその映像を見ていた。異世界すぎて、格差を感じることもないほどに。

 高校の経済の先生が「バブルっていうのは、文字通り泡なんだよ」と説明していた。今ならば単純明快、その通りと思うのだが、実感がない僕には何の説明にもなっていなかった。泡を石鹸的なものと解釈して、石鹸の価値からそこまで肥大したのかと誤解したほどに、僕はバブルから遠い存在だ。

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今年、飲み仲間の招待で観に行った浜スタの、この観覧席はバブリーだった。