雪の予感に震えて眠る

 子供の頃は雪が大好きだった。関東住みの人間にとっては非日常の世界、それが雪だ。普段見慣れた景色がまるで変わる。それは、つまらない毎日が、嫌なことばかりの生活がリセットされるような感覚だったかもしれない。別に子供時代にツラい経験をしたわけじゃないが、たぶんそんな感じだ。

 この雪への憧憬が完全に裏返るのは、社会人になって間も無くのことだ。山梨の得意先に上司ふたりを連れてクルマで行った帰り、大雪に見舞われた。雪の中の運転は不慣れで、途中から上司が運転を代わった。代わる前にチェーン交換を手伝ったが、すべて初めてのことでウンザリしてしまった。

 この後会社に戻って、さらに残務を消化した上で、混雑した帰りの電車に乗らなければいけない。そこまで想像して落ち込んだ。目の前の景色は単調なグレーの世界。徐々に暗くなってきて、帰社時間は定時を超えるだろう。拘束時間の長さに嫌気がさして、降雪の不愉快さを身をもって味わった。

 それ以降、冬も雪もあまり好きではない。夏の盛りに暑さでフラフラの時だけ、一瞬冬の寒さが恋しくなる。でも、比較したら夏の方が好きだとハッキリ言える。学生時代は夏場の部活が地獄なので冬の方が好きだが、部活から解放された今となっては、冬に感じるのは凍死する恐怖くらいである。

 最近、寝る時に足元の冷えが気になるようになってきた。以前は「足が冷えるので靴下を履いて眠る」なんて聞くと、靴下が気になって眠れないんじゃないかと思っていた。でも、実際に足元の寒さは耐え難い。その上、僕のサイズの問題で、足先が布団からハミ出す。寝具としての靴下は重要だ。

 僕は基本的に運転は得意ではないが、長いこと無事故である。ペーパードライバーではないので、必要とあらばクルマを運転することになる。来年なぜか今時期に予定が入り、イヤな予感のする地域に行くことになる。何度か雪に見舞われ、行くだけで疲れ果てる。雪の運転だけは永久に慣れない。

悪天候の日に地下街にいると、安心感と共にほんのりと罪悪感が芽生えてくる。

頭の中だけで飛べ

 仕事の縛りもあるが、体が自由になれない時は頭の中だけでも自由でいたい。子供の頃は、想像力で飛べる距離は実生活の範囲内だけだったと思う。でも、現実味のあるジャンプが可能だった。記憶にある範囲のどの時間でも、まるで現実にそこにいるようなリアリティで頭の中で再現可能だった。

 今では、あの特殊能力は消えた。昨日のことでさえ再現できない。夢でいつもの酒場が出てきたとしても、他の雑多な記憶と混ぜこぜになって攪拌される。経験値が増えた分、記憶の画像データの解像度が低くなったのだろう。再現度が下がれば、いくら経験があっても無駄なような気がしてくる。

 ただ、嫌な記憶はなかなか消えない。実際に目の前で起こっていて、匂いまで感じるような現実味がある。それは、僕が嫌な記憶をトラウマ化させたくなくて、何度も再現して慣れさせようとするからだ。慣れはするが、嫌だと思うのは変わらない。そこは鈍感になってはいけない感覚なのだろう。

 僕としては、できれば夢の中や暇な時の妄想で好きな映画が脳内で再現できれば楽しいと思っている。最初は記憶から捻り出して、そこから湧き出すように思い出せるのが理想だ。そんな体験は皆無だが、そう思うほど好きな映画がいくつかあるらしい。パッと思い出せないので怪しいところだが。

 ちなみに僕の好きな映画の傾向として、アクションものやファンタジー的な作品は排除されている。どちらかというと地味なドラマが好きだったりする。そういう作品は、細部が命なのだ。観るたびに発見がある。それを脳内で再現するのは不可能だろう。再現できるような細部は、細部ではない。

 旅行などは脳内で何度も反芻したいと思うのだが、こちらも現地で細部に触れることが楽しいので、意識して思い出すのは難しい。似たような景色の中から「これって何だっけ?」という既視感を覚えて思い出すことはある。そんな雑多なインプットが欲しくなってきた。久しぶりに感じる旅情だ。

僕の数少ない海外旅行経験のひとつ、バンコクの夕景。あ〜、旅行に行きてぇ。

呪いを解くのは労働

 昨日から仕事に取り憑かれてしまい、頭から業務が離れない。慣れないし得意でもない仕事だから、とにかく早く終わらせたい。その一心で、最速でミスなく仕上げられる方法を模索している。そんな感じで落ち着かないから、つい発注元への電話確認が多くなってしまう。ある種のSOSなのだ。

 そうやって相手を巻き込むことで、仕事のクオリティに手心を加えてもらいたいという下心があるのかもしれない。手心と下心は別に韻を踏んだわけじゃないし、大して上手くもない。ただ、オモシロのクオリティが底付きする程度には平常心を失っている。久しぶりに感じる劣等感に近い感覚だ。

 とにかく疲れる。体は正直なので、不慣れな仕事に拒否反応を示している。でも、僕は限界を超えた先の満足感が嫌いじゃない。痛みなくして前進なし、ノーペイン・ノーゲインというやつだ。ある程度の圧がかからないと、成長は望めないと思ってしまう。もっと効率的な成長法がありそうだが。

 昨日は散々トラブルに見舞われた末に、もうやってられんと家を飛び出した。PCさえあれば仕事は進められるので、酒場で続きをやろうと思ったのだ。結局やるのだ。酒の力を借りて迷いを吹き消した。シラフだと考えすぎてしまうので、そのリミッターを振り切るためのドーピングとも言える。

 酒場のメンツが楽しい話をするのを尻目に、黙々と作業を進めていったら捗った。よく子供が茶の間で勉強すると覚えられると聞くが、その感覚に近い気がする。雑然とした中にいた方が自分の中に閉じこもれるというか、閉じこもっている場面を人に見てもらった方が頑張れるということだろう。

 別に忙しいアピールでもなく、褒めて欲しいわけでもない。ただ、そういう外付けのパワーアップアイテムがないと越えられない山があったのだ。そして、すでにその山は越えた。いま考えているのは、果たしてこの仕事はナンボということだ。ギャラの話を詰めないで受けるのはやめた方が良い。

仕事で行った長瀞の石畳。もはや遠出は仕事がらみのみと成り果ててしまった。

仕事に取り憑かれる

 先日から新しい仕事に取り掛かっているが、慣れないため苦戦している。難しい作業ではないのだが、急ぎでありながらミスを許されないというのがプレッシャーになっている。僕はプレッシャーに弱いので、こういう仕事は早く終わらせたい。でも、速さがミスを呼びそうで慎重になってしまう。

 ふたつのタスクを同時進行で進めなければいけないのだが、発注元からは優先順位の高い方を先に片付けて欲しいと頼まれている。アンケートの集計とメール連絡なのだが、メール連絡の方が最優先事項だ。連絡先は数百件あり、その連絡を待っている。早くメールを送って安心させる必要がある。

 メールは、その業務専用のアドレスを自分のPCに取り込んだ。僕は以前からメールの設定が苦手で、すんなり使えるようになった試しがない。現状のPCでも受信はできるけど、送信ができないという有り様だ。果たして、今回も最初は同じだった。この業務は最初から波乱ぶくみだったわけだ。

 ただ、なんとなく根拠のない自信があり、いろいろ検索して解決法を探した。再設定する際にちょっとした作業をすることで、メールの送信が可能になった。その瞬間、発注元からのメールが大量に転送されてきた。受信したメールの件数を見ると、胃に重いものがのしかかってくる。ストレスだ。

 昨日の作業はメールの返信まで進んでない。まだ発注元からの最終的なゴーがなかったからだ。こちらにも不明な点があり、そこを確認中なのでメールを送るのは待ちの状態である。その宙ぶらりん状態で寝たら、全然熟睡できなかった。夢の中にメールと表計算ソフトが出てきて、落ち着かない。

 まだ3時だったが、いっそ起きて作業を進めちまおうかと思ったりした。でも、それは健康に良くないと思い直し、無理やり目を瞑った。頭がまったく休まらないまま、朝を迎えた(←今ここ)。朝になると冷静になる。まあ、なんとかなるだろう。ミスしないように、ゆっくりと作業するだけだ。

海釣りに行った時の朝の江ノ島。眠れないなら起きて釣りにでも行きたい気分。

意固地なシスター

 僕には5つ歳の離れた妹がいる。年齢差があるのと、先に嫁いで行ったこともあり、あまり詳しく人となりを知らない。どんな人か分からないのだ。なんとなく地味で、引っ込み思案の陰キャというイメージだった。いや、それほど明確に陰キャと決めつけられるほど、性格を理解できてはいない。

 それほど暗い性格ではないようなので、おっとりした天然という線も考えられる。ただ、昨夜はじめて母親から聞いたところでは、時に意固地でビシッとした意見を言うこともあるそうだ。長年続けていた(と、それも昨日はじめて聞いた)ピアノ教室でも、講師に意見を言う方だったとのことだ。

 結婚した後のことだが、同じアパートの隣の部屋に子供が集まるようになったらしい。大人がいない時間は心配なので、外で遊んでいる子供を見張るでもなく見ていたら向かいの住居の老人から「うるさいんだよ」と文句を言われたらしい。その際も「うちの子じゃありません」と言い返したとか。

 ま、当たり前の自己主張の範疇なのだが、普段の動きを見ている限りではピンと来ない。ただ、頼もしさというか、安心感は芽生える。ちゃんと大人になるもんだと、いい歳して実家暮らしの頼りない兄貴のくせに思う。目に見えない部分で人は、自分の想像より強く逞しいものなのだと思い知る。

 妹のことで思い出すのは、母親の自転車の後部先に座っている時に自転車が転倒して骨ご折れた時の話だ。腕の骨が折れたら相当痛そうだが、我慢して泣かなかったそうだ。何故そんな我慢をしたのか分からないが、そういう部分に意固地さを感じる。あまり会わないが、その時のことは聞きたい。

 今は2人の子供を産み育てている母親で、独身の僕には敵わない貫禄があっても良さそうなものだ。でも、相変わらず家ではフニャフニャしているし、明確な性格もよくわからない。でもそれは芯が硬いから、家族の前では柔らかくしていようという意思なのかもしれない。そう思うと底知れない。

タイレストラン入り口のオブジェ。東南アジアは笑顔の向こうに強さを感じる。

見つからない鍵の在り処

 ふと思い出そうとしたことが、パッと浮かんで霧消してしまうことがある。思い出せないままだと気持ち悪いので、スマホですぐに検索する。でも、何かしら関連ワードが出てこないと探せない。そこで関連ワードを考えている間に、もともと考えていたことを忘れてしまう。行方不明の言葉たち。

 先ほども90年代の渋谷系のバンド音楽を動画サイトで観ていて、ふと「この曲はアレに似ている」と思った。最初はアレじゃなくて、ちゃんと似ている元のバンドを思い出したのだ。でも、瞬時にフワッと消えてしまった。即座に検索で調べようと思ったが、なんとなく自力で考えようと試みた。

 ニュースか何かで「スマホを使えば使うほど健忘症が悪化する」的なことを見た。僕は自宅で作業しているので、会社勤めの人に比べたら格段にスマホを使っている時間が長い。ヒマがあるとすぐにスマホを見ている。ゲームも頻繁にする。無課金勢なので料金的な心配はないが、健忘症は心配だ

 そんなニュースが頭を掠めたので、自力で記憶をサルベージしようと思ったのだ。思い出したいバンドのCDを持っていたはずなので、とりあえず棚を調べた。果たして現物を見て思い出したと言えるのかは不明だが、行為としてデジタルよりはアナログの方が脳には良いのではないかと判断した。

 でも、棚にはそのCDはなかった。何年か前に断捨離したのだろう。その程度の思い入れしかない。お勉強的に買ったCDなのだ。渋谷系のルーツであるネオアコのユニットなのだが、ネオアコという言葉も失念していたので検索できなかった。最後は音楽サブスクの中身をほじって見つけ出した。

 この見つけ方は棚を直接探すのと似ている。でもスマホの中のデータなので、アナログ感はない。これは果たして健忘症を進めるのか、はたまた食い止めるのか。サッパリ分からん。でも思い出した。いや、これは思い出したと言えるのだろうか。正解を見ただけだ。そして、もう忘れかけている。

酔っ払って撮った夜空の写真は何かが墜落したかのよう。記憶は空の彼方に。

Running with shout at the devil

 大学の部活は、学生の自主性に任せた自由があるものだと聞く。でも僕が入学した当初は、旧時代のスパルタが横行していた。それは先輩の厳しさではなく、鬼コーチが支配する閉鎖空間だった。みんな高校時代は厳しいチームで鍛えられているので、僕以外は高校の延長で慣れたものらしかった。

 とにかく気が抜けないので、練習が終わるとヘトヘトになる。でも、練習後も先輩への配慮が甘いと怒られるので、実はそっちの方もキツかった。グランドでコーチから厳しくされることは慣れるが、私生活を含めた先輩との接し方は慣れない。僕が根本的に上下関係を忌み嫌っているからだろう。

 そんな大学の部活ライフで印象的なのは、とにかくグランドに入る時に叫びながらダッシュすることだ。練習のド頭から最高潮のテンションに持っていくというのが、恐らくあの意味なんだと今は解釈している。それは試合を想定した鍛錬で、相手の先手を取るためには入りのテンションは重要だ。

 当時も、表層ではバカバカしいと思っていたが、深層では理解できる部分もあった。ただ、それは想像するだけなので、そのように理解してやっていたらどうだったのだろう。そのコーチが言うのは「常に大刀を向けられた緊張感の中で練習しろ」的な、昔の柔道家の名言を実践する部分があった。

 総じて非科学的であったり、暴力で支配するような旧時代の遺物のようなコーチだったが、みんな強くて逞しいので、それを面白がる精神で軽く乗り切っていた。僕は這々の態でついていくだけの毎日だったが、そんな周りの強さに引っ張られて、なんとか生きていた。そんな日々が1年間続いた。

 入学当初は「こんな練習を4年間続けたらどうなっちゃうんだろう」と思っていた。でも先輩たちは、そんな練習に付き合う気は毛頭なかったのだ。学生の自主性に任せた部活という、大学の部活のスタンダードを取り戻した。高校の練習が厳しくなかった僕には、ちょうど良い修行期間になった。

これは京都の風景だが、どこかラグビー合宿の聖地・長野の菅平を思い出す。