頭の中だけで飛べ

 仕事の縛りもあるが、体が自由になれない時は頭の中だけでも自由でいたい。子供の頃は、想像力で飛べる距離は実生活の範囲内だけだったと思う。でも、現実味のあるジャンプが可能だった。記憶にある範囲のどの時間でも、まるで現実にそこにいるようなリアリティで頭の中で再現可能だった。

 今では、あの特殊能力は消えた。昨日のことでさえ再現できない。夢でいつもの酒場が出てきたとしても、他の雑多な記憶と混ぜこぜになって攪拌される。経験値が増えた分、記憶の画像データの解像度が低くなったのだろう。再現度が下がれば、いくら経験があっても無駄なような気がしてくる。

 ただ、嫌な記憶はなかなか消えない。実際に目の前で起こっていて、匂いまで感じるような現実味がある。それは、僕が嫌な記憶をトラウマ化させたくなくて、何度も再現して慣れさせようとするからだ。慣れはするが、嫌だと思うのは変わらない。そこは鈍感になってはいけない感覚なのだろう。

 僕としては、できれば夢の中や暇な時の妄想で好きな映画が脳内で再現できれば楽しいと思っている。最初は記憶から捻り出して、そこから湧き出すように思い出せるのが理想だ。そんな体験は皆無だが、そう思うほど好きな映画がいくつかあるらしい。パッと思い出せないので怪しいところだが。

 ちなみに僕の好きな映画の傾向として、アクションものやファンタジー的な作品は排除されている。どちらかというと地味なドラマが好きだったりする。そういう作品は、細部が命なのだ。観るたびに発見がある。それを脳内で再現するのは不可能だろう。再現できるような細部は、細部ではない。

 旅行などは脳内で何度も反芻したいと思うのだが、こちらも現地で細部に触れることが楽しいので、意識して思い出すのは難しい。似たような景色の中から「これって何だっけ?」という既視感を覚えて思い出すことはある。そんな雑多なインプットが欲しくなってきた。久しぶりに感じる旅情だ。

僕の数少ない海外旅行経験のひとつ、バンコクの夕景。あ〜、旅行に行きてぇ。