見えないパウダーに包まれて

 春を知らせる風物詩のようなものは数あれど、僕にもっとも季節の変わり目を意識させる存在は花粉だ。おおっぴらに花粉症だと公言するようになったのは最近のことだけれど、実質的には四半世紀ほど春先はかゆみに悩まされて生きている。そんな季節感をここ数日味わっているが、風情はない。

 若い頃の方が症状が深刻だったような気がするが、我慢強かったので耐えていた。今は慣れたのもあるし、症状が鼻水くらいなので集中していれば忘れてしまうこともある。以前は眼球を取り出して洗える技術が開発されたら絶対に利用したいと思っていたが、今は怖いのでそんな気にはならない。

 長いこと花粉症を認めないレジスタンスだったので、毎年この時期になる前の準備が甘い。ほぼ素手で花粉と戦っている。昨今の状況から考えれば、公然でのくしゃみが他人にプレッシャーを与えるので十全な対策を施した方がいいことは分かる。でも、この時期以外は花粉症の自覚が皆無なのだ。

 少し話が逸れるが、僕はメガネ愛用者だ。でも、メガネなしでも不都合がないという時期を長く過ごしてきた。今はメガネをしていないと外出するのも多少不安だったりするのだが、それでも、どこかで自分をメガネの人と認識していないところがある。後天的なプロフィールを認められないのだ。

 花粉症に関しても自分が心から納得していない部分がある。その性質を個性として認めていないのだ。ただ、医者に採血をお願いして〈スギ花粉アレルギー〉の烙印を押されたので、以前ほどレジスタンス的な精神ではない。素直に認めているし、毎年の無策を後になってしっかりと後悔している。

 僕の知り合いでキツめの花粉症の人が数人いるが、そういう人のツラそうな様を見ていると自分は軽度なんだなと思える。軽度だからあまり大げさにツラそうにしないのだが、それでもかゆいし鼻水は鬱陶しい。今朝、ジョギングしていると、今年の花粉症が開幕した予感があった。早く夏になれ!

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夏が待ち遠しいのは花粉のせいだけじゃなく、食事制限が終わるからだ。

悲鳴に耳を澄ませろ

 自分では誰にも迷惑をかけずに生きているつもりでも、実は他人にしっかり迷惑をかけていることがある。逆恨みというほど具体的な心当たりがある出来事がなくても、気に食わない要素が僕にある場合はあるだろう。もともと他人に好かれる人生ではないので、何が引っかかるかは想定できない。

 自分が嫌われ者かもしれない要素に思い当たるフシはないが、嫌われていたんだろうなという証拠のような出来事はあった。中学生から高校生にかけて、謎の嫌がらせで不愉快な日々を過ごしてきた。そういう軽犯罪に関しては、公的な捜査機関の手間を取らせずセルフで処理しようと思ってきた。

 結局、ホシを挙げることはできなかったが、今でも許さないという気持ちを持ち続けることでヤツらへプレッシャーを与え続けている。〈ヤツら〉というのは、ホシは複数いるからだ。僕への嫌がらせは中学校からはじまる。僕の上履きの母指球の辺りに切り込みを入れるという謎の細工がそれだ。

 僕が上履きを買うと数日のうちに毎回おなじ箇所に切り込みが入っている。最初のうちは小さめの上履きが悲鳴を上げて裂けたのかと思っていたが、どうやら耐性の問題ではなかったようだ。毎回おなじ箇所が裂けるという怪現象には理由があったのだろう。もっと真剣に探偵活動するべきだった。

 愛の対義語は無関心などと言うので、憎まれることは愛の裏返しなどとも聞く。相手に興味がある時点で、それは広義の〈愛〉だという考え方だ。嫌がらせでも、それは対象者への何かしらメッセージなわけだ。いまなら察して考えてみるが、中学・高校生の僕は何も考えられずにただ恨んでいた。

 高校に入ると100%自転車通学になる。帰りに駐輪場に行くと、かなりの頻度で自転車がパンクしている。最初のうちは自分の体格のせいだと思っていたが、ある時タイヤのバルブ自体がなくなっていた。僕が捨てるわけがないので、犯人がいる嫌がらせだ。こんな謎の悪意も流せるようになる。

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強めの地震が来ると必ず崩れる本棚。これも誰かの悪意による嫌がらせか。

優しきインストゥルメンタル

 仕事の作業用BGMとしてインスト曲だけを集めてプレイリストを作ってみた。基本的にはボーカル入りの曲が好きな僕は、あまりインストの曲を持っていない。それでもアルバムの中にインストの曲が入っているものもあるし、何かの気の迷いで手に入れたジャズやボサノヴァのアルバムもある。

 それらの中から作業中に聞き流す、または作業が乗るような曲を選んでまとめた。そんなことをする時間があるのなら、作業を進めるべきだ。でも、いま取り掛かっている仕事をする上で重要なのは、常に安定した精神状態でいることだ。怒らず慌てず、しかも締め切りに間に合わせる胆力が要る。

 僕は楽器を弾かない割に、ギターのインスト曲が好きだ。中学生の頃に初めてラジオで聴いたメタルの曲もインストだった。それは確か、イングヴェイ・マルムスティーンの〈イカルスの夢・組曲 作品4〉だった。たいそうなタイトルがついているが、名前に負けないスケールの大作だと思った。

 当時は部活の試合前とかに、テンションを上げて闘志を燃え上がらせるために聴いたりしていた。メタルの曲はアニメの主題歌っぽいカチッとした型があるので、気持ちをあげるルーティーンとしては安定している。それに、アクの強いメタルヴォーカルで気が散らないので、集中力も高めやすい。

 本当はラグビー部の頃にメタルのインスト曲でコンセントレーションを上げたかった。でも、ラグビーはチームスポーツなので、試合会場に向かう時も大勢でゾロゾロ行く。仲間と一緒だと気が散るので、緊張感を保つことは難しい。それに高校時代は、緊張するような強豪と試合したこともない。

 中学時代の陸上部の頃は、個人種目特有の緊張があった。スケジュールを把握していないと点呼に遅れるので、そういう時間に押される焦りもあった。ちょうど今の状況に似ている。仕事のスケジュールに合わせて進行したいので、そういう焦れた気持ちはある。ただ、まあ緊張感は持ってないが。

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しばらく家飲みを控えることにしたので持て余している酒のストックたち。

標語で固結びする生活

 むかし、教室の黒板の上とか後ろの荷物置き場の上には、誰が考えたのか知らない標語が書かれた紙が貼られていた。僕は、漢字テストなどで思い出せない文字があった時に、その標語の中から該当する漢字を探して切り抜けたことが何度もあった。教員と生徒の向いてる方向の違いによる利点だ。

 僕のカンニング成功体験を自慢したいわけではない。この手の標語は、だいたい三つの目標のようなことが書かれている。例えば〈忘れ物をしないように・元気よく挨拶しよう・みんな仲良く〉みたいなことだ。教員が気に入っていると思われる標語の場合、それを朝イチで復唱させる場合もある。

 小学生の頃、少年野球部に入っていた僕は、練習の終わりに毎回この手の標語を復唱させられた。これはシンプルで〈礼儀、努力、健康〉というものだった。僕のスポーツマンシップは、この言葉に集約されている。何年も口にしていたから体に染み付いている。この言葉が僕のスポーツマン観だ。

 自分がスポーツをする場合において、これらを忠実に守って大事にしてきたという意味ではない。どちらかというと僕はラクな方に流される弱いスポーツマンだった。ただ、他人を評価する際の基準として、この三つの要素を持っているかで見てしまう。ちなみに僕は〈健康〉だけは及第点だった。

 標語に限らず、三つの単語で端的に表現することは多い。芸ごとの世界ではむかしから〈飲む、打つ、買う〉などと言うし、ヒデちゃんはヒッパレで〈見たい、聴きたい、歌いたい〉と言っていた。キャッチコピー的な収まりがいいのだろう。古来より三つの方がバランスが良いとされて来たのだ。

 そういえば僕の保健指導の担当者も、僕に対して三つの課題を提示していった。週3回のジョギング、週3日の休肝日、夕食時のご飯お代わり禁止が僕の当面の課題だ。これらは担当者の誘導で僕の口から言わされた標語だ。キャッチコピー的な語呂は悪いが、人間は語呂のみにて生きるにあらず。

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僕の大好きなチキンタツタも、保健指導による罪悪感メソッドにより我慢。

知らない国の音楽

 少しも詳しくないのだが、ある時期からボサノヴァが好きになった。ブラジルの音楽だ。サンバカーニバルなどの賑やかなイメージがあるが、ボサノヴァは優しくて静かな音楽だ。ネットで調べたことを意訳すると、サンバに対しての新しい傾向、いわゆる〈ニューウェイブ〉の意味だと思われる。

 弾き語りか、歌手とギターのようなデュオ形式の演奏が多いように思われるが、シンプルな演奏形態にも関わらずボサノヴァの世界観はゆるぎなく形作られているように感じる。ミニマルな音数が、洗練された印象を抱かせるのかもしれない。そして、ありきたりな表現だが、とても癒されるのだ。

 20代前半まではロックばかり、もっと言えばヘヴィメタル系を中心にしか音楽を聴いていなかった。激しくてエッジが立った音と、強く心を揺さぶる美メロを兼ね備えたロックが好きだった。そんな偏った聴き方をしているうちに、自分は「世界の一部しか知らないんじゃないか」と思えてきた。

 徐々に日本のアーティストも聴くようになり、自分の好みが変わりはじめてくると、それらの曲を聴き「これって何かに似てるなぁ」と遡っていって古い洋楽に行き着いたりする。古い曲にも良いものはあるという、当たり前のことに気づくのだ。そうすると必然的にビートルズにたどり着くのだ。

 ビートルズとメタル、そして日本のアーティストなど、自分が手にしたカードをつなげる中間にもたくさんの名曲、たくさんのアーティストがいる。この音楽地図は「一生かけても埋まらないなぁ」と思った。もう自分の興味の赴くままに聴き続けて、少しでも世界の一部を広げていこうと思った。

 レコード屋に行って各コーナーを見るようになった。ジャンルに捉われずにいろいろ聴こうと思って、店内をくまなく見回していた。僕は端っこから攻めたくなるタイプなので、大型店の最深部から掘ると、そこには大抵〈ワールドミュージック〉が鎮座している。知らない国の音楽に心が躍った。

名もなき街角で二度見

 今まで生きてきて、通りすがりの風景に心を奪われたことなんて何度もあったと思う。その時に立ち止まれたかと考えると、それらは全て瞬間に通り過ぎて捉えられずに忘れてしまっている。僕の趣味嗜好が決定してからは、後で戻ろうかと思うこともあるが、若い頃は過ぎたら忘れてしまうのだ。

 そんな忘れてしまった風景のひとつに、インドの山奥で見た夜の集落がある。バス移動の途中で過ぎ去る暗い夜道を見ていると、突然窓の外に巨大なマンションが現れた。こんなところにこんな巨大マンションがあるのかと息を飲んで凝視すると、それは山並みに建つそれぞれの家屋の灯りだった。

 その旅行での僕は無知な上に、事前に情報を入れないことをモットーとした徒手空拳旅行を志していた。そのおかげで旅程をスムーズに組めなかったり、行くべき観光地をほとんどスルーして過ごしてしまった。そんな中で得られた数少ない感動のひとつが、その疑似マンションの山影だったのだ。

 誤解とはいえ、世界最大スケールの巨大マンションを映像として観ているのだ。途中で山の集落だと気がついてしまうのだが、あれを誤解したままあの山を取り過ぎていたら、旅の途中で会った人に要らんことを吹きまくってしまったことだろう。でも、本当は誤解したまま過ぎてしまいたかった。

 人が見たいものしか見ないのだとしたら、あの景色は僕の脳が見せた幻想だと思う。ピントが合う前の目で見れば、この世界にはあの程度の感動的な風景がそこら中にありそうな気がする。でも、すぐにピントは合ってしまう。そんなピントはずれの幻想を求めて、山間部の工場地帯を見てしまう。

 この手の経験は、幽霊目撃談とも共有しうる誤解だと思われる。いわゆる目の錯覚というやつだ。たそがれ時の視覚が、昼と夜の合間を〈この世とあの世のはざま〉として詩的に捉えるのだろう。そして、幽霊の存在を肯定することによって、死後の世界に期待を寄せる心境があるのかもしれない。

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某北関東の、とある駅前の写真。色がなさ過ぎてモノクロのような質感あり。

ヘルスジャスティスへの道

 健康かどうかは、個人の見解に過ぎない。当人が十分と思える健康体であれば、他人がとやかく言うことでもない。市の要請で来る保健指導は、医療費の削減のために健康になるよう指導しているのだ。それは個人の都合ではなく公の都合だ。それに従うかどうかはこちらの自由だ。僕は従ったが。

 太って見える人が、血液などの数値が全て基準内ということはよくある。人を見た目で判断するヤツはダサいという考え方が世の中に浸透しているように見えて、実は全然浸透していない。だから、当人は健康なのに他人が干渉してくる。腹が出たとか顔が丸くなったなどと内政干渉してくるのだ。

 そういう個人が個人に対して行う干渉に関しては、「個体差があるんだから一概に自分の価値基準で決めつけるなよ」と諭すことにしている。でも、仮に僕が今回の保健指導の結果、理想的な健康体を手に入れたらどうなるだろう。僕も健康至上主義者として他人に干渉してしまうような気がする。

 すでにその兆候が表れていると思われるのが、TVでラーメンやチャーハンなどのハイカロリーなものが出た時に「しばらくはガマン」と思ってしまうことだ。ドラマで中華屋のシーンを観ると、今は行けないと思ってしまうのだ。行っても良いのに、脂っこい食べ物に対して罪悪感を感じている。

 こういう思考になると続かないと思うのだが、スタートダッシュで数字を稼ぎたいと思っているから〈今は〉ガマンしたいのである。要は、早く楽になりたいのだ。僕の基本精神は「食べるために生まれてきた」ということであり、大好物は〈ラーメン、とんかつ、中華料理〉に決まっているのだ。

 ただ、減量期間を過ごした後で、食事が数値に反映されることが身に付いてしまうと思考も変わってきそうだ。そのうち中年がよく言う〈健康のためなら死ねる〉というクリシェを使いそうだ。さらに、もっとも注意しなければいけないのは、自分を成功例のようにして他人を諭そうとすることだ。

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保健指導2日目にして禁断症状が出ているらしく、ラーメンを見たくない。