俺の体重アップサイドダウン
昨日の保健指導の際に計った体重が約102キロだった。その後、軽くジョギングしてシャワーを浴びて、薄着で計った体重は約100キロまで落ちていた。これは洋服の分を差っ引いても1キロ以上の減量ということになると思うのだが、僕はだまされない。計った体重計が異っているのである。
体重が重い人間の5キロなんて誤差の範疇のような気がする。たぶん10キロくらい落とさないと、ダイエットの真価は発揮されないと思うのだ。とはいえ、最初から目標を10キロ減に設定してしまうとツラくなる。減らない体重にイライラして、それがストレスで精神的に病んでしまうだろう。
まあ、僕の場合は能天気なので病まずに開き直るのだが、どちらにせよ減量からはドロップアウトすることになってしまう。保健指導の担当者が課した僕の課題は、極めて簡単なことだ。5キロを6カ月で落とすというのが最終目標なのだが、この程度でドロップアウトしてたら何も達成できない。
そもそも、僕も体重は減らしたいのだ。利害は一致している。というか僕だけの利害だが、それを他人に監視または管理されているという状況に対してはまだ未知数だ。そのうち鬱陶しく感じるのかもしれないが、まだ初日なのでなんとも言えない。ただ、すでに体重を計るのが億劫だとは感じる。
数字を見ることは現実を見ることだ。そこには一切忖度がない。これを習慣にしてしまえば、このミッションが終わってからも健康管理の指標になるかもしれない。悪いことじゃない。でも、まだ納得していない自分がいるようだ。健康になろうとする僕の足を引っ張ろうとする怠惰が騒いでいる。
怠惰の発作は朝やってくる。今朝もジョギングしようと思っていたのだが、朝7時に起きてご飯を食べて走るというプランは怠惰に握りつぶされてしまった。怠惰強し。意思弱し。それでもまだ朝食と呼べる時間に食べて、ジョギングの支度をした。今ここ。さあ、これから走って体重を測ろうか。
ヘルスケアとの攻防
僕は、自分の健康管理は自分でできるタイプだと思っていた。でも、定期検診の数値が悪く、市からの要請でメタボリックシンドローム対策の一環として派遣される保健指導を受けることになった。昨日連絡が来て、今朝担当者の訪問を受けた。ものすごいクイックレスポンスだ。やる気を感じる。
かつて会社員だった頃に「営業マンは汗かいてナンボ」的なことを言う人がいた。その感覚に近い速さだ。向こうが早く動くことで、こちらにプレッシャーをかける。そもそも対象者は僕なのだから、僕のために人が動くこと自体がプレッシャーになるのは当然のこと。そして担当者はやって来た。
最初は物腰柔らかくヒアリングが進んでいくのだが、数値改善のためには現在の体重を計らなければ始まらない。そこで先方が持参した体重計に乗ると、僕の予想通り3ケタを越えていた。前回の健康診断から約5キロ増えた。これは旗色が悪いぞ。担当者もダメな生徒を見る目つきになってくる。
先方は無理なダイエットはすすめてこないので、まずは5キロ落とそうということになる。これでは元の体重に戻るだけだ。それでもやらないよりはマシ。そのためのプランを簡単に割出していく。食事の量を減らすことと、休肝日を増やすことと、ジョギングの日を増やすこと。これらが課題だ。
僕としては、将来的にラグビーを再開するための下地作りのためにジョギングをしていたのだが、それがダイエット対策に変わった。こういう強制された形の方が取り組みやすいかもしれないなと思いつつ、自力で対策できなかった自分の意志の弱さが情けなくもある。でも、ここからはじめよう。
ただここで僕が不安なのは、この保健指導がいつまで続くのかということ。おそらく次の健康診断で数値が改善されないと、また来年も同じようなことになる。何度も言っていることだが、これを機に大健康体を手に入れるのも悪くない。さて、僕の鉄壁の意志薄弱を押さえ込むことができるかな?
それぞれのイーブン
かなり前の話だが、知り合いのクルマのカーステに僕のCDを入れっぱなしにして、返してもらおうと思ったら、真夏の車内に置き忘れて剥き身のCDがメロメロに反り返っていたことがあった。その時に、その知り合いは悪びれる様子もなく「あ、夏だからね」的なことを言って済まそうとした。
もちろん、それは弁償することありきでの返事だったと思うが、本人が言外に匂わす「弁償するから良いじゃん」という開き直りがハナについたのを覚えている。そういう人間とは自然に疎遠になるものだが、そのころは交友範囲が狭かったので長い付き合いになってしまった。腐れ縁地獄である。
その腐れ縁地獄からは脱却済みなのだが、思い出すと不快なことは多々ある。それを思い出そうとするのは自傷行為に近いので、根が能天気な僕は滅多に思い出さない。ただ、僕の脳内倫理委員会が不快の原因を見つけて対策法を練りたいと考える時があるらしく、たまに検証してはイラッとする。
近くにいると腹立つ人間というのは、離れてみると話題として使えることが多い。その本人は面白くないし、それに巻き込まれる自分も不愉快極まりないのだが、その顛末を語ることで生まれる笑いがあるので、少しだけ救われる。できれば、その相手には話題にしていることを悟られたくないが。
先のCDの案件も、そいつは買って弁償するのではなく、同じCDをレンタルしたものをコピーして返してきた。ケースは無事だったので、そのケースにコピーCDを入れて「無駄にならなくて良かったね」的なことを言ったような気がする。こういうセコさに、こちらの戦闘意欲が削がれるのだ。
そのすぐあと、そいつのクルマに置いていったCDがまた紛失したのだが、その時はさらに開き直っていて「このクルマにCDを置き忘れる方が悪い」というようなことを言われた。これを意訳すると「バカなんだから許せよ」ということだ。その後、そう思って数年付き合ったが、許せなかった。
タイムマシーンは要らない
40代に入ってからの僕は、ときどき無性に昭和歌謡や80年代の日本の音楽を聴きたくなる。単に懐かしいということもあるのだが、知らない旧い曲を見つけてシンプルに良いなぁと思うことも多い。自分が好きになる曲の傾向を時系列に辿ってみると、意外な共通点があったりして面白いのだ。
例えば作詞・作曲の顔ぶれが近かったり、プロデュースというか制作に関わるメンツが同じだったりするのだ。当時は音楽ビジネス自体がもっとコンパクトで、同じ人がいくつも掛け持ちしているということもあったかもしれない。それでも、僕の音楽趣味には、多少の偏りがあるような気がする。
それらの過去の名曲たちは、僕の趣味に過ぎないのかもしれないが、現代でも通用する普遍的な良さも兼ね備えていると思う。もちろんアレンジなどは現代仕様に直さなければいけないものもあると思うが、誰かにカバーさせることで新しい命を吹き込まれる曲もあるだろう。そんな妄想が好きだ。
今朝、ジョギングをしながら、僕の脳内ウォークマンはシーナ&ロケッツの「ユー・メイ・ドリーム」を流していた。この曲をアイドルがカバーしたら、可愛くてカッコ良く仕上がりそうだなぁと想像した。当時の制作陣でもある細野晴臣さんがプロデュースしたら、さらにゴキゲンになりそうだ。
こういう妄想は止まらない。僕が昭和歌謡ネットサーフィンで見つけてイチバン気に入った中村晃子の「虹色の湖」は、当時のグループ・サウンズの雰囲気を取り入れたサイケデリックな名曲だ。同時代的には似たような曲が多数あったのかもしれないが、後年から俯瞰すると突出した曲に思える。
この曲を、現代のバンドをバックに、これは実力派シンガー的な女性に歌ってもらったら蘇りそうな気がする。クレイジーケンバンドとか、演らないかなぁ。ってなことを考えながら走っていたら、強めの向かい風で走りにくかったことも忘れてアッという間に時間が過ぎた。これも音楽の効果だ。
その奥へ、さらに深く
ものの理解というものは、表面だけを見ていても分からない。その中に入って、深く潜り込んでやっとヒントが見つかる程度だ。体育会の学生だった僕で言えば、ずっと続けていた競技の真骨頂というものは見えずじまいだったような気がする。だから、今でもやり残した感覚が消えずにいるのだ。
無趣味な僕は、突き詰めて考えたことがない。学生の頃の部活にしても、ただコーチの言うことに従って練習していただけだ。ただ、単調な練習の中で感じるものがあって、それを機にブレイクスルーする瞬間は何度かあったと思う。無心でやっていると、小さな「その先」が見えたりするものだ。
どうしても学生時代の部活でやり尽くした感があるのだが、その後の人生の方が長くなっている。そろそろ部活の呪縛から解かれて、突き詰めるべき課題を見つけるべきだと思う。久しぶりにそんなことを考えたのは、昨日、出先で会ったビール醸造家の会話が熱かったからだ。その熱が感染した。
僕が酒場に通うようになったのは、もともと飲むのが好きだったからだが、ある夏のビールが異常に美味かった実体験による。その頃は倉庫でバイトをしていたのだが、コンテナからの荷降ろし業務が連日続いていた。酷暑の作業は過酷なのだが、バイト仲間らとワイワイ楽しみながらやっていた。
そんな夏のある日、職場のリーダー格の人間に誘われて、みんなで焼肉の食べ放題に行った。そこで大ジョッキのビールを飲んだら、過去イチで美味かった。その店は絶対にビールの味に定評がある店ではないが、カラカラの体に染み入るビールは極上の美味だった。そして僕はビール派になった。
焼肉とビール。これさえあれば生きていけると思っていた。20代の僕を奮い立たせていたのはコレだけだ。次第に焼肉愛が薄まってきても、ビールへの愛は変わらない。そして、次第に銘柄にこだわるようになっていった。そんなある日、酒場で海外のビールに出会い深い沼底を覗くことになる。
ずっと人見知りでいい
大人が「人見知りなんで」などと言い訳するのは恥ずかしいことのような気がする。そう、言い訳が恥ずかしいのだ。社交性なんてものは後天的な性質に過ぎないのだから、元来人間は生まれつき人見知りのはずだ。それが生存本能で、簡単に言えば「知らない人について行っちゃいけない」のだ。
それを、いつまでも引きずっているのが恥ずかしいと思うのかもしれないが、社交性が身についても根っこの人見知りが抜けないのは当然のような気がする。誰とでもすぐに打ち解けると言う人の「やり口」を見ていればわかるのだが、その行動は自然じゃない。どこか無理しているように感じる。
社交性というのは無駄を省いているに過ぎないと思う。人見知りでも時間をかければ、他人と打ち解けることはできる。その時間を短縮するために初手で頑張ることが社交性だろう。ただ、頑張っている姿を見られたくないという気持ちがある。努力は影でするものだ。社交性と努力は相性が悪い。
つまり、ぶっつけ本番でしか身につかない能力が社交性で、そういう場にたくさん立つことで磨かれると言っても良い。僕は、何度も場違いな会合に出ているうちに、そういう場に異物としていることには慣れた。そこで交わされる会話が「大したことない」ということも知った。でも、話せない。
場に馴染むことで新発見がありそうだと思うのだが、馴染ませるときに生じる卑屈さに耐えられないことがある。できれば周囲で起こる興味深い会話の端緒を掴んで、スッとひと言挟んで輪に加わるのが理想だ。それが上手くいくこともあるのだが、大体は興味深い会話というものが見つからない。
ここまで記したように、僕も社交性は極めて低いと思う。それでも友人が多いと思われているので、周囲には人見知りキャラが浸透していないようだ。僕の社交性を過大評価して結婚式での挨拶を頼む人間もいるくらいだから、他人から見た自分なんて想像できない。自己都合の誤差が生じている。
川沿いでマイフレンド
高校の同級生が近所に住んでいる。僕は実家者の独身中年だが、彼は結婚した相方と2人の娘とともに暮らしている。近所だからと言ってしょっちゅう遊びに行くことはないが、僕のジョギングコース沿いに彼らの家があるのでたまに会う。僕がジョギングをサボりがちなので、あまり会えないが。
もう「毎日走ろう」などという無理なお題目は捨てた。とりあえず冬季は寒いので「日曜日だけ、もし気が向いたら平日も」くらいのスタンスで走っている。昨日も天気が良かったので、本当なら朝走りたいのだが、思いっきり正午から走り出した。かなりスローペースなので、1時間ほどかかる。
いつものコースを走っていると、帰路で友人宅の前を通った時に、久しぶりに出くわした。1年ぶりに会ったのだが、僕にはなにも話題がなかった。彼の方から別の友人の近況や最近あった出来事が語られたので会話は弾んだのだが、別れてからつくづく自分はおもしろ味のない人間だなと思った。
いや、多分話すことはあるのだが、日々このようにブログに記しているとアウトプットが済んでしまう。誰かに話したい願望や、この話題はアイツに教えたいなという気持ちがすり減ってしまうことがある。いや、誤解かもしれないが、話題のストックを深いところに保存しているような気がする。
僕はあまりエピソードを話さないのかもしれない。それよりも、その場での会話のやり取りを楽しみたいのだ。だから、先方から話題が提示されれば、それについて話すのが楽しい。そこで出る僕の意見に大した意味はないけど、そういう意見を交わすことが好きなのだ。だから、会話自体は弾む。
逆に僕から話題を提示しても、それが先方の興味を引かないと会話が弾まないのだ。こういうことは、初期の女性とのやりとりで起こりがちだ。沈黙を嫌って無理やり話題を探すのだが、相手の興味が得られないと自分もつまらなくなる。むしろ、自分がリアクション側に立った方が楽なのである。