祈りのエイトミリオン

 大晦日は酒場でカウントダウン。特に意味のない日付の変わり目だが、大勢が集まると祭りになる。くだらないTVの掛け声に合わせて、酒場の常連たちとグラスを合わせる。そんな日常が戻ってきた。いまだに感染者が何人だと発表するばかりで無策にしか見えないが、市井の民は変わっている。

 酒場を後にして、何人かで初詣に参った。近隣では比較的大きめの神社に向かったら、複雑な並び方で混んでいる。街のひと区画を回り込むようにした最後尾に着き、ダラダラと祈りの順番が来るのを待っていた。その行列についた段階で、僕は寒さに負けないよう意識を妄想世界に飛ばしていた。

 また風邪をひくのは嫌だなぁと思いつつ、早く初詣を済ませて帰路に着くことばかり考えていた。結局は小一時間ほど並んで賽銭を放り込んだわけだが、あまり具体的な祈りが思いつかなかった。いや、辛うじて「横浜優勝」くらいは祈ったが、どこの横浜の優勝かは伝わらなかったかもしれない。

 例年、初詣は手順に追われて祈りの段階で虚無っていることが多い。たぶん神前でのマナーを考える側の人間が、あまり祈りが多いと神に迷惑がかかると配慮して複雑な手順を課しているのではないかと想像する。だから、実際にはみんな祈れていない。そんな中では僕は首尾よくやれた方だろう。

 大晦日の神社の混み具合も祈り手たちの精神を追い詰める。手順をこなした後で、自分の祈りを思い出して長々と居座ると気まずい。だから頭の中に浮かぶ短いセンテンスで済ませてしまう。僕も以前は「世界平和」と決めて手順をこなしていたから、その文言は自動的に頭に浮かぶようになった。

 毎年あれだけ念じてきた祈りは、しかし伝わっていなかった。願いが届かなかったということか。まあジョン・レノンでも無理だったことなので、僕が初詣の時だけ思ったところで何も変わりはしないというものだ。その上、今年は個人的な欲を願ってしまった。せめて野球くらい楽しませてくれ。

初詣で冷え切った翌日、バラエティ番組にて同じ神社がロケに使われていた。