新しい仲間との初日

 何事にも初めての日がある。学校に通うにしても、最初の日は構えるものがあったはずだ。自分に置き換えるなら小学校の初日ということだが、そこには何の緊張もなかった。日常の延長に過ぎないと素直に思えた。それよりも幼稚園の方が「行きたくねーな」みたいな感覚は強かったように思う。

 幼稚園には制服があったので、あからさまな非日常の洗礼が堅苦しく感じたのだろう。園内ではほとんど体操服で過ごすので、制服は無意味なのだ。それは中学生以降も思うことだが、体育着を制服にすれば良いのにって思ったことは学生時代に数え切れないほどある。学ランなんて無駄の極みだ。

 まあ、制服の問題点はまた別の話。何事にも初めての日があると言うことについてだ。今日は新しいパソコンを初めて起動した。昨日買い換えたノートパソコンだ。以前は買ってすぐ起動しても初期設定がいろいろ必要だった。それが面倒で、パソコンの買い替えにはネガティブなイメージが強い。

 僕は、自分のパソコンを手に入れたのが同年代の中ではかなり遅い方だ。この10年以内の話だと思う。自分の家で仕事をしなきゃいけないので、パソコンがすべての窓口なのだ。ほとんどの仕事は電話かメールで依頼される。最初はそのためだけにパソコンを買った。今では重要度が増している。

 仕事自体もパソコンの中で行うので、逆にこれさえあれば何でもできたりする。こんな風に言うと、まるで手足のように使いこなしているみたいだ。実際はキーボードをガン見して、テキストを打ち込んでいる。全然スマートじゃない。それでも仕事は早いと思う。誰かと比較したわけじゃないが。

 今朝、ほんのりと浮き立つ気持ちを抑えながらパソコンを起動した。やはり最新の(正確には中古だが)パソコンは起動が早い。特にセットアップしなくても、何も不具合なく立ち上がる。一応僕なりの使い勝手を考慮してアプリを足したが、以前よりも面倒なことは減った。頼もしい愛機である。

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地元のMacユーザー仲間が酒場にしかいないので、つい顔を出して、飲むよね。