はじめてのスニーカー

 子供の頃の衣類や靴などは、親に見繕ってもらうことが当たり前だと思っていた。幼い頃は自分の意思などなく、与えられたものを文句を言わずに着ていた。それが、徐々に周りから影響されて自意識が芽生える。この服はダサいとか、この靴はカッコ悪いとか生意気なことを言い出すようになる。

 最初にその手のことで生意気を言い出したのは靴だ。スポーツメーカーのスニーカーがステイタスとなり、誰もが「メーカー品」のシューズを履くようになった。どの靴もメーカーが作っているので、メーカー品という言い方はいま思えば変だ。でも、当時の気分ではブランド品に近い意味だろう。

 子供にとっての最上位ブランドは「アシックス」だった。シューズだけじゃなく、アシックスのロングソックスも流行っていた。それ以外は子供の知識が追いついていないので、とりあえずアシックスさえ履いていれば無難という時代だった。小学校低学年の声変わりする前のガキの世界での話だ。

 当然、僕も周りの影響でアシックスを欲しがった。でも、子供のわがままをすんなり聞いてくれる両親ではなかったので、期待しつつ半分は諦めの心境で頼んだ。すると「誕生日に買ってやる」と言う。珍しいことだ。あの頃は成長期なので、半年で履けなくなる靴に金をかけたくはないだろうに。

 最初のうちは僕もアシックスが欲しかった。でも、みんなが履いている靴に後から合わせるのもダサいような気がする。それだと、周りのヤツらに憧れているみたいじゃないか。憧れているのは「お前ら」じゃなくて靴の方だと思っても、そんな言い分は通用しない。なにせみんな生意気なガキだ。

 なので、アシックスじゃなくても良いと父親に申し出た。すると「良いのがある」と言って買ってきたのが「ミズノ」のスニーカーだった。今では「ランバード」ブランドとして知られているが、その頃はミズノ名義のスニーカーが存在していた。当時はちょっと違うと思ったが、今は逆に欲しい。

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ミズノは野球メーカーなので、父親の野球関係の伝手で手に入れたのだろう。