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 今朝、何気なく眺めていたフェイスブックのタイムラインに、仕事で交流があった人のサムネが目に飛び込んで来た。その人とはフェイスブックでつながっていないし、会わなくなって数年経っている。忘れかけていたところに近況が詳細に載っている。その人のライフスタイルが紹介されていた。

 ネットの媒体に取材されるような興味深い趣味的生活をしているので、そこに載っていることは前から知っていたことだ。ただ、以前はそういう同じような生活をしている人を取材する側の人だったのだ。その仕事からチョットだけ離れたので、見る側よりやる側の方がクローズアップされたのだ。

 その記事をシェアしていたのは、僕の酒場の交流で知り合ったビール醸造家さんだ。おそらく、その記事で紹介されていた人と直接の知り合いではないと思うので、その人のライフスタイルに関心を持ってフェイスブックでシェアしたのだろう。見えない糸でつながったような錯覚を覚えてしまう。

 実際にはこの点と点はひとつもつながっていない。僕がアピールしない限り、このことは僕のタイムライン場で完結してしまう。こういう偶然をまめに拾う人がチャンスをつかんだり、いろんな世界に人脈を広げたりするんだろうなぁと漠然とは思う。でも、やはり僕はやり過ごしてしまうだろう。

 人と人をつなげることで広がることよりも、こういう偶然を無理やり主導して演出することの気恥ずかしさが抜けないのだ。若い頃は、小さな偶然を大げさに感じて右往左往して、結局誰も得をしない独りよがりな空騒ぎをしてしまうこともあった。それで僕にはパイプ役は向いていないと知った。

 僕の中にも小さなお節介おじさんが存在しているとは思う。そのおじさんが「せっかくの縁だから、つないでやったらええやん」みたいなことを囁やくこともある。その声を長らくシカトし続けて来たので、もう僕にはその囁きは不可聴音となっている。ただ、小さな微振動に違和感を持つだけだ。

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その人と最後に仕事したのは、富士山麓のキャンプ場だったような気がする。