re:re:re:旅情は距離がものを言う

 12年前にふと思い立って伊勢神宮に参った僕は、参拝のマナーに従うことなく外宮から内宮には行かずに次の目的地へと向かってしまった。伊勢神宮のある三重から、和歌山を経て大阪に入ろうと目論んでいた僕は、その和歌山で行きたい場所を見つけてしまったのだ。それは「高野山」である。

 高野山に関しても大した知識など持ち合わせていない。その時に、その字ヅラを思い浮かべて出てきたのは「孔雀王」というマンガだ。それも、特に真剣に読んだワケではない。ただ、そのマンガに出てくる密教は、高野山の裏にあるという設定だ。がぜん魅力的に感じられる。もう行くしかない!

 その出発の段階で僕が懸念していたのは、ちゃんとした寺社仏閣などは事前の申請がないと入れない場合があるかもしれないと言うことだ。そんな不安がよぎったけれど、どうせ通り道だし、僕は修行しに行くワケじゃない。遠巻きでも見えればいいのだ。空気が吸えればいいのだ。レッツ高野山

 結論から言うと、高野山は普通に行ける場所だ。僕は、在来線から登山鉄道に乗り換えて向かったが、高野山のエリアには大きなバスターミナルもあった。修学旅行で行くような場所の雰囲気がある。そこの土産物屋もデカイ。お寺自体は高潔でも、寺町の雰囲気にはどこも雑然としたものがある。

 真田昌幸、幸村親子が暮らした寺がどこかにあったはずなのだが、この頃は「真田太平記」を読む前だ。僕が興味を抱く対象は、漠然とした高野山全体の雰囲気だけだったので、いざ来てみるとやることはない。途方にくれた挙句、土産物屋で雑な空海のキーホルダーをいくつか買って、満足した。

 そこから大阪へ向かい、その頃勤めていた会社の人間が定宿にしていた西中島南方というややこしい名前の駅に近いビジネスホテルに泊まった。同じ日に神域をふたつ巡った疲れが出て、夜は軽く飲んで済ませた。この朝に浜松を出て、伊勢神宮から高野山を巡るというルートは推奨いたしません。

f:id:SUZICOM:20201101100434j:plain

高野山の修行僧と思われる集団。ケータイを見ながら歩く姿が学生っぽい。