毎日が、ちがう明日

 最初に勤めていた会社を退社する時に、部署の人たちに開いてもらった送別会で「昨日と同じ今日が明日も続くような毎日には耐えられないので辞めます」などと言った記憶がある。生意気なことを言う。まったく何も分かってない若造だ。その時は、ただ単にその言葉を言いたかっただけなのだ。

 いかに自分が日々を漫然と過ごしていたかがわかる。昨日と今日で成長していないから「変わらない毎日」のように感じていただけなのだ。完全に自分の問題なのに、会社を辞めればソレは変わると思い込んでいる。そんな甘さが嫌になるが、自分への戒めとしてたまに思い出して冷や汗を流そう。

 このご時世では、昨日と同じような今日を過ごす生活である。でも、別に耐えられないことはない。むしろ、日々楽しさを見つけて生きている。そういうアイデアを持てない、つまり心の余裕がない状態に耐えられなかったのである。あの頃の僕に「カッコつけんな、ちゃんとやれ」と言いたいぜ。

 その頃に言われた言葉で、退社するたびに「次の会社では給料が安くなるぞ」と先輩に忠告された。ヘッドハンティングされたわけではなく、単なる自己都合退社の僕などは、まさにその道をたどって来た。学生時代のコーチも「川の水は低い方に流れる」と言っていた通り、低地へと流れて来た。

 でも、世の中には上手く流れをさかのぼる人間がいるものだ。前職で知り合った人間の中には、転職するたびに上の方へと、陽の当たる方へと向かって行く上昇志向と相性のいい男がいた。そういう人の能力って何なんだろうと考えてみる。業務遂行能力だけを比較したところで、誰しも大差ない。

 そういう人は、とても人当たりがいいのだ。人受けがいい。誰とでも仲良くなれるから、いろんな人が寄ってくる。人脈を聞くだけで吐き気がするくらいの幅がある。ソレを楽しめる、または許容できる能力だ。僕は吐き気がするくらいだから許容できない。そして今も、下方へと流れて行くのだ。

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北陸の漁村の風景。海に癒されるのは、自分が根っから川の水だからだろう。