悲劇のヒロイン撲滅運動

 長寿番組として有名な「徹子の部屋」を観てしまう。実家で仕事して、実家で昼飯を食べるのだから、日中のチャンネル権は母親のものだ。そこには何も異存はない。でも、母親には「徹子の部屋」を楽しみにしているフシがある。徹子〜おしゃべりクッキング〜ドラマ再放送という黄金の流れだ。

 その徹子の部屋で、ベテランの誰かが骨折して苦労した話をしていた。骨折中の家での生活が不自由なのだが、モノが溢れて室内を移動するのに不便極まりないという。他にも亡くなった母親の家など、自分が管理しなければいけない物件があって、そこにもモノが溢れている。そんな導入だった。

 でも、その話は結局「骨折を機に一念発起して断捨離した」というラストが最初から示されている。画面上部に字幕でそのようなキャッチコピーが出ているのだ。それをベテランの人が何度も情感込めて話すので、徹子さんが何度も先を促す。お互いが話したいことの着地点が微妙に異なっている。

 ベテランの人にしてみれば苦渋の決断で捨てたのだが、徹子さんが聞きたいのは捨てたモノの中から残しておいた形見の品のエピソードに進んでいる。その利害の不一致のようなシーンを観ていて、日常でもこんなことはあると思った。こちらは情報だけ知りたいのに、相手は心情を訴えたいとか。

 酒場で落ち込んでいる人間がいたとして、そのポーズは「何があったんだ?」と聞いて欲しいアピールでもある。できれば触れたくないが、触れないのも不自然だ。僕は不自然にも耐えられるので放置していると、そういう人は自分から話しだす。そういう話は落とし所のない無限愚痴に終始する。

 全然楽しくないので話を終わらせたくて、仕方なく僕の大嫌いなポジティブ思考で落とそうとする。そうすると、そういう適当な処置には敏感なので「そういうことじゃない」と喰らいついてくる。結局、そいつの気持ちいいところで終わらないと納得しないのだ。納得しなくても結構。俺は帰る。

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味気ない世界を味気ない姿のまま楽しむのが好き。世界は十分に馬鹿らしい。