これはペンです

 以前、ラグビークラブに入っていた頃、海外から仕事に来ている若者がチームに参加することがあった。英会話の先生として働く人が多かった、というか全員そうだった。だから、当然英語圏からの移住者ということになる。個人差はあるが、日本語を問題なく使いこなせたのはひとりだけだった。

 最初期は、この手の国際交流にみんな興味を持っていたと思う。知らない世界から来た人間に対する、未知への興味だ。だから、必死で会話しようとするが、その手段は英語になる。こちら側は、みんな文法と発音にとらわれて、なかなか積極的に話せない。しまいには「日本語覚えてよ」となる。

 もちろん当人たちも、日本語を覚えようと努力はしている。でも、学校の授業ではネイティブな発音を教えるインストラクター的な立場なので、仕事の中では日本語が身につかない。必然的に夜の日本語学校に通わなければいけない。そうなると、短期的な収入を見越している人には面倒臭くなる。

 彼らは、外国人専用(と思われる)アパートに住んでいることが多いので、日常でも言葉の壁を感じないようだ。だから、よっぽど必要にかられないと日本語を上達させようとは思えないだろう。どんな必要があるかといえば、日本人との恋愛。先の日本語を使いこなせるラガーマンもそうだった。

 僕は、海外といったらインド、タイ、シンガポールしか行ったことがない。英語圏ではないが、インドでの日常会話は英語だった。会話といっても「伝わればいいや」と割り切って、単語を積み重ねて意思だけを伝える原始的な手法だ。インド人の方も自国の言語があるので、英語は第二外国語だ。

 その経験で「カタコト同士の英語なら意外と伝わる」という実感は持っていた。だから、海外勢と話す際も、単語を端的に発することで察してもらっていた。ある時、計算が苦手だという意味で「アイアムクレイジーカリキュレーター(いかれた電卓の意)」と言ったら感心された。小さな自慢だ。

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カルカッタの街角で謎の関西弁を使いこなすインド人。通称サトシ。