責任転嫁マンvs凡人マン

 人から怒られるのは嫌なものだが、この歳になって怒られることなんて滅多にない。仕事上のミスがあったとしても、それは確認した人が直せばいいだけなので怒るに値しない。そんな凡ミスは、怒られたら直ると言う性質のものでもない。不注意を注意するシステムが、僕の体内に設置されてないからだ。

 凡ミスをやり玉に上げて責めるのは幼稚だと思う。僕が凡ミスすることは珍しいのだが、だからこそ、そのミスを執拗に突いてくる輩がいる。それは、こちらから見ると当人のストレス発散行為に見えてしまう。そいつが普段から凡ミスを繰り返しているので、他人の凡ミスにも過敏になっているのだろう。

 ところで、凡ミスというのはどの程度まで「凡」で済まされるのだろう。命に関わるシーンでのミスは重大ではあるが、そのレベルの責任を負える人間はいないと思う。そこで責任をシェアする「保険」が存在する。だから、保険が生じるレベルのミスが最上級だ。それでは凡ミスは最下層のミスだろうか。

 この判断には人それぞれの倫理観が問われそうだ。些細なミスの場合、それを報告しても「マジメだな~」とからかわれたりすることもある。それでも周りに伝えておけば、そのミスの部分を対応なり、気遣うなりの処置がなされる。何も言わないと、後で誰かに小さなストレスがかかる可能性があるのだ。

 中学生の頃、習字の授業で忘れ物をして「明日までに半紙に100枚書いてこい」と言われたことがあった。そんなもんかなと思い、家に帰ってから半紙を買いに行って、夜遅くまでかかって100枚書いた。それを翌日、その教師に提出したら「あ、そう」とだけ言われた。半紙はそのまま横に積まれた。

 その所作を見たときに、すぐに「こいつ、忘れてやがったな」と気が付いた。それ以降、提出物に対する厳しさが薄れてしまった。宿題なども、出さずに済みそうなものはやらなかったし、それで注意されたとしても特に困らないのだ。でも、今の僕は仕事の期限は守る。そこに習字の教員の影響は皆無だ。

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街角の達筆。僕の中学時代の習字はその場で焼却処分されたことだろう。