パスワード紛失

 不惑を過ぎてから、名前を覚えるのが苦手になった。何度も顔を合わせている人のことを、瞬時に名前と紐づけることができない。その間が不自然な感じにならないように、別のことを考えたフリをする。その隙に思い出そうと思うのだが、そのひと手間のせいで、名前の件を完全に忘れてしまう。

 かなり前に「15分だけしか記憶が持続しない男」が主人公の映画を観た。それは脳の損傷による機能障害で記憶が続かないという話だ。僕もよく、電車や建物の入口・出口で頭をぶつける。その蓄積が、僕が他人の名前を覚える機能を弱まらせているのか。そうだとしたら、僕に日本は狭すぎる。

 移住するつもりはないので、日本の狭さについては一旦置いておこう。かつて、フランスの葡萄畑で、その農園の主人が変死体で発見されたという。頭部の打撲痕から他殺の線が浮かんだが、どうやらそれは事故だと判明した。その主人は大男で、長年葡萄畑で頭を強打してきた蓄積で死んだのだ。

 僕が最も頭を強打する場面は、電車の乗り降りの時だ。いや、乗る時はホームの方が低い位置にあるせいか、ぶつかったことはない。むしろ降りる時が危険で、それも混雑した車内から押し出されて強打するわけではない。普通に降りようと、何も意識しないで出ようとしてガンッとぶつかるのだ。

 来年のオリンピックに向けて、今からでも電車のドアの高さを変えて欲しいと切望する。ああいう不意の打撃は心底イラッとするのだ。しかも恥ずかしい。本当はデッカい声を出したいところなのに、ジンワリと我慢させられる。しかも名前が覚えられなくなる(未確定)という嫌なオマケ付きだ。

 昨夜、酒場で何度か話している女子の名前を完全に失念したまま話すこと1時間弱。途中で諦めて名前を聞こうと思ったのだが、行けるところまで行ってみようと試した。そしたら、名前を知らなくても全然話せるのだ。途中で「この人の名前を知らない」という事実すらも忘れるほど話せるのだ。

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乱視なので見にくい酒場の黒板メニューを写真に撮り、撮ったことを忘れる。