駆られ焦がれる旅の空

 先日まで、室町時代の史実を基にした時代小説を読んでいた。それは、京都を中心に繰り広げられる権力者と市井の民との闘いである。市井の民と牢人が手を取り合って、時の権力者たちに反旗を翻す物語。京都市中に一揆の軍勢が雪崩れ込み、金貸しの蔵や大名屋敷を襲い、大暴れするのである。

 こういうのを読むと湧いてくるなぁ、旅情ってヤツがよぅ。京都には何度か行っているが、その都度持て余してしまう。上手な過ごし方が分からないのだ。大学の同級生がいるので、そこに遊びにでも行けば良いとは思う。でも、コチラは旅行や仕事終わりの時間潰しでも、向こうは普段の仕事中だ。

 それに、旅先で友達を頼るのも良くない。自分が楽しいと思うことが、ソイツのオススメする何かとは異なる場合も多々ある。ただ、友達の好意に甘えようと思い切れれば、完全に委ねて楽しめるだろう。その思い切りを発揮できるか否かが鍵だ。この話、まるで近々京都に行くみたいではないか?

 ちょうど最近ニュースなどで騒がれているのが、政府が主導する国内旅行キャンペーンだ。内容を把握してないので、そのキャンペーンのうま味は分からない。ただ、旅行に行くキッカケにはなる。こんな時は、日本が誇る食材王国の北海道が最初に頭に浮かぶ。日本列島を北端からなぞるからだ。

 でも、その後すぐに九州に飛ぶ。僕は、九州には福岡を通り過ぎて、長く滞在した場所は大分しかない。大学の時に2週間ほど、ラグビー部のミニ合宿的に訪れたことがある。その2週間は、でも、大学在学中でもっとも印象に残った体験だ。休み返上で行かされたのでシャクだけど、楽しかった。

 ただ、いくら当時を思い返して楽しかったからと言って、いま再訪して楽しめるかと聞かれたら違うと思う。あの、合宿という不自由な状況の中で、僕らは自分で考えて楽しんでいたのだ。それが分かってるから、なんとなく九州は「遠くにありて思うもの」という感覚だ。第二の故郷ではないか!

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数年前、個人的GoToキャンペーンとして思いつきで京都旅行に行った。

擬似体験というやつさ

 朝のワイドショーで、都立高校の校則で「ツーブロックを禁止」することについて議論していた。その発端となった都議の質疑の模様も放送され、その際の教育長の回答が「事件や事故に巻き込まれないように」というものだった。そこで、その回答に関する「根拠を示せ」と突っ込まれてしまう。

 若い人の中にはツーブロックが「怖い髪型」という認識があるらしい。ツーブロックが怖く仕上がるのは、そこにグリースと色黒とヒゲとマッチョが追加されないとコワモテ化しないような気がする。ただ、そこまでセットすると確かに怖そうではある。最近の高校生は筋トレするから、怖いかな。

 この辺は、むかしで言うところの「リーゼント、パーマ、脱色の禁止」に当たるのだろう。今は言われなくてもリーゼントはしない。僕は髪型にこだわりがなかったので、校則を特に意識したことはない。ただ中学生の頃の「真ん中分け禁止」という校則には困った。伸ばせば自然に分かれるから。

 僕の中学生の頃、周辺の学校の中には「長髪禁止」を拡大解釈して「男子は坊主」という学校が多くあった。それに比べれば、伸ばせる分まだマシという感じなのだろうか。でも、一律坊主と言われた方がラクではある。そこを「伸ばしても良い」となると、あえて坊主にする理由もなくなるのだ。

 髪型を好き勝手することは自由なので、それを校則で規制するのは理不尽だ。でも、自由を抑制された中からアイデアで個性を主張することはできる。仕事でも、顧客に「この条件で」と言われたら、その範囲内で最高の案を提示することが求められる。校則も、そのように解釈することはできる。

 ツーブロック禁止に騒ぐことも、それに対しての回答にも、何も考えていない単調さを感じてしまう。なんでも自由にして良いと教えたところで、社会はなんでも自由ではない。その一環として校則を考えてると言えば、賛同を得られるとは言わないまでも、考えた跡は窺えるのではないだろうか。

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学生の時は見向きもしなかった立ち食いそば。買い食い禁止って何だ?

宴会部長は背中で語る

 大学のラグビー部に入った時、僕は孤立しないために「笑われる役」を買って出ていた。まあ、正確に言えば僕の根っこにある調子ノリが、最初に宴会芸でウケちゃえばラクだと思っての自発的な行動だ。どうせ新入生は、上級生から「何かやれ」と無茶振りされる。それを逆手に取ってやるのだ。

 ひとつ上の先輩で、宴会芸に長けた人がいて、その人が最初は見本として一発芸をかます。それを見て先輩たちは「やっぱ達者だよな」と褒め称えつつ、徐々にハードルを上げて最終的にちょっとスベって終わる。その手順を見ていて、ここは「勢いイッパツだな」と気持ちを切り替えたのだった。

 宴会芸なんて誰がやってもスベるものだ。誰も面白い素人を見たくて芸をさせているわけじゃない。スベって照れる様を見て笑いたいのだ。長いこと素人の一発芸を見ていて、面白かった人など誰もいない。ただ、気に入った後輩のやる勢いのある芸は笑ってしまう。つまり、それは愛情の問題だ。

 その仕組みをなんとなく肌で感じていた僕は、この宴会芸で誰かしら先輩からある程度の覚えめでたくなれれば良いと思っていた。その大学のラグビー部には、僕の高校からの先輩も同級生もいない孤軍奮闘の世界だ。他の連中は比較的繋がりがあったりするので、孤立しないように多少足掻いた。

 合宿の打ち上げや飲み会など、事あるごとに「何かやれ」と言われるようになった。それで、毎回軽くスベる。それでもやり続ける。もちろん全ての先輩が笑っているわけじゃない。中には「こいつ本当につまんねーよな」と目を見て言ってくる先輩もいた。その時は「スンマセン」とやり過ごす。

 そんなことを言われて平気なわけはないのだが、僕は自分の役割が分かっていたので不思議と心は折れなかった。ツマラナイも繰り返せば笑いになる。スベり待ちの状態だ。そんな風に逆に盛り上がるような素材をいつも探していた。中庭で練習するチアリーダーをマネた時は過去最高にスベった。

路上の無念

 クルマを運転中に見かける路上の落し物で気になるのが手袋だ。まるで手首から切り落とされたみたいに、道路に晒し首ならぬ晒し手首の感じで落ちているのである。「上手いこと落ちたものだ」と思う。でも、確認しないので、あの中に身が入っていないとは言えない。と言っても確認はしない。

 あと、路側帯に投棄されている液体の入ったペットボトルも気になる。気になるというより、ある都市伝説が頭から離れない。あのペットボトルは、渋滞中に我慢できなくなった人たちが「代用尿瓶」として使った後の状態だという話だ。ラベルと中の液体の色が合ってないのがその証拠だと言う。

 渋滞中に突然もよおすことは多々ある。ただ、僕の場合は液体じゃない方が来るので、何かで代用しても車内には悪臭という証拠が残る。液体の方は比較的我慢できる。もし、仮に我慢できなくなったとしても、車内に大きなペットボトルはない。せいぜいが500の方なので絶対に溢れるだろう。

 路上の遺棄物として、不思議というか、ある種の恐怖を感じさせるものが靴だ。子供靴が落ちていることが多いように思われる。片方だけ落ちていると、これは事故に遭って飛んできたんじゃないかと思ってしまう。クルマがビュンビュン走る場所で子供靴を落とすシーンは、他には考えられない。

 遺棄された靴で妙なのが、両方揃えて置いてある時だ。靴を揃えて置く場面はドラマでしか観たことがない。それは、自殺志願者がビルから飛び降りる前に脱ぎ揃え、その靴の上に遺書を置くシーンだ。それを観ていつも思うのは、ビルの屋上は強風なので遺書が遠くまで飛ぶだろうなということ。

 まあビルの屋上の件は良いとして、揃えて置いてある靴の件だ。靴がワンセット捨てられるということは、不用品を不法投棄したからだろう。それが揃えられているのは、捨てられた靴を見て「まだ使える」と思った人が遺棄ではなく忘れ物だと判断して、見つけやすいように揃えたということか。

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道路工事中。この界隈は手袋や長靴の落し物のメッカだ。

酒場に不要なラップトップ

 よく行く酒場から仕事を手伝ってくれと頼まれたので、先週末はノートパソコンを持ち込んでビールを飲みながら作業していた。営業時間中なので、なるべく邪魔にならないように端っこに座っていた。でも、酒場のカウンターの端っこは人気席だ。片側がフリーなのでパーソナルスペースが広い。

 電源を供給してもらうためにコンセントの近くじゃないと作業できない。そういった都合もあって端っこに座っていたのだが、なんとなくみんなの視線が痛い。別に誰かが「特等席」としてそこを占有し、それを店側も常連も暗黙の了解で認めているというわけじゃない。ただ、目障りなのだろう。

 仕事帰り、ないし休日の癒しに訪れている人にとって、パソコンは仕事の象徴だ。忘れたい事柄を想起させるツールなので、それを酒場に持ち込まれるのは不愉快だろう。しかも、僕は実際にそれで仕事めいたことをしている。給仕の合間に店主と相談しながら、なんやかやと打ち込んで行くのだ。

 常連が増えて仕事が継続不能となり、最初の日は途中でやめた。やめた瞬間に、仕事終わりの気分になった。飲みながらやっていたのに、それまでのビールはオフィスのコーヒーのようなもの。パソコンを仕舞ってからのビールに仕事終わりの一杯を実感して、そこからさらに飲み進めてしまった。

 最近は酒場のカウンターでパソコンを見ている人は多い。それは動画視聴だったり、スポーツなどの実況中継だったり多種多様だ。でも、それらの人々からは「仕事感」を感じない。遊びのツール、家の延長としてのパソコンだ。でも、リモートワークの昨今、酒場に仕事を持ち込むことは増えた。

 そんな酒場ワークの際も、なるべく仕事感を感じさせないように、逆に仕事を片手間な感じでやるように心がけたい。そうすると、仕事の進みが悪いので途中で諦める。翌日も行くことになる。結局酒場の出費の方がかさむという。でも、これは僕の働き方改革として推し進めていきたいテーマだ。

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家より酒場の方が通信環境が良いというのも問題だ。あと、涼しいし。

酒飲むと走る男

 僕は、どんな時でも走れることが理想の状態だ。思い立ったら走り出せることは、人間にとって最大の武器になると思っている。だから、いつも走れる体でいたい。と思いつつ、かなり長いこと走れていない。ゆっくりとジョギングを始めて、割と走れるようになってきたなぁと思うと肉離れする。

 今も、数週間前に傷めた肉離れが治らず、走ることからは距離を置いている。それでも、街中で走らなければいけない瞬間は、不意にやってくる。僕が街中で走るのは、バスに追いつくためだ。最終バスを逃すと、我が家まで30分弱は歩かなければいけない。酒を飲んだ後だと結構しんどいのだ。

 一昨日は、ほどほど良い感じで飲んで酔った後で、ふと時間を見ると最終バスの時間が迫っていた。時間ギリギリで会計してバス停に向かうと、雨が降ってきた。雨の中を歩いて帰るのは嫌なので絶対にバスに乗りたい。時計を見るとバスの時間まで5分ほど。走れば間に合う。でも雨足は強めだ。

 少し前に深夜バスに乗ろうと思ったら、臨時ダイヤで深夜バスがサービスをやめていた。バス停でしばらく待っていたが、あまり遅れない最終バスが10分も来ないので、おかしいと思ってバス停を凝視すると、消えかけた字でサービス休止を知らせるプリントが貼ってあった。コロナ禍の影響だ。

 そこで仕方なく歩いて帰ったのだが、次の日の体調の悪さが通常とは比べ物にならないくらいに最悪だった。飲んだ後に歩くから罪悪感は少な目なのだが、気分が悪くてダラダラするので半日は捨ててしまう。そんな経験をしないためにもバスには間に合いたい。そんな思いで雨の中を必死で走る。

 バスにはギリギリ間に合ったが、酔って走ったのでガツンとキマッた。マスクをしているので非常に苦しい。息も上がっている。バスは混み合っているので、マスクを外すのも躊躇われる。でも、頭がクラクラしてきたので深い呼吸を求めてしまう。結果的に、歩いて帰った時と同様の二日酔いだ。

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バス停まで走る道すがら、意識が遠のきそうになると浮かぶ花畑の図。

その感情には名前がある

 僕が子供の頃からずっと読んだり、見てきたものからの影響として身につけた感覚というか、どん底から見上げた上空にいる仮想敵に対して燃やす怒りを常に持っているような気がする。だから、いわゆる「上から目線」で話してくる人に遭遇すると身構えてしまう。こいつは「敵だ」と思うのだ。

 長じて、この感覚には名前があると知った。それは「ルサンチマン」と言うそうだ。意味は「弱者が強者に対して憤り・怨恨・憎悪・非難の感情を抱くこと」らしい。この感覚がベースにあると、いつまで経っても自分の立場が好転しない。会社に例えるなら出世しない。弱者は偉くなれないのだ。

 自分が弱者だと思ったことはないので、その立場を周りにアピールすることもない。ただ、姿勢として「見上げて怒る」のが好きなのだ。手に負えない相手に「絶対に負けないぞ」と虚勢を張り続けるようなガッツを持っていたいのだ。ただ、あまり理論的でない僕は、これを理論武装していない。

 僕の場合、そうは思っていても、理論的に強いヤツにペロッと負けちゃっても何も気にしない。理論で負けても自分の芯は何も納得していないし、負ける前となんら変わっていないのだから。単なる感情の置き方の問題なので、言わなければ誰からも指摘できない。言って指摘されても変えないし。

 この感覚は中学生の頃には備わっていたと思うが、具体的な例として示されたのは高校に入ってからだった。その頃に読んだ漫画「迷走王・ボーダー」に提示されていたのは、バブル経済の恩恵を受けている「持てる者たち」の側と、恩恵の外にいる者たちとの対立だ。この対比が分かり易かった。

 主役はボロアパートに暮らす3人組で、バブルから見放されてもギリギリドロップアウトしないで朗らかに生きている姿から「ボーダー(境界線上を行く者)」と呼ばれた(作中一度だけ)。そう、ドロップアウトすると見上げる視線を持てないのだ。いつでもギリギリ地上にいなくてはいけない。

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弱者に優しい立ち食いうどん。ちょっと贅沢にかき揚げを乗せてみた。