今そこに居る恐怖

 僕の寝室のエアコンは昨年の夏に死んだ。そのまま放置して今年に至り、いよいよ新しく買い換えることにした。工事は月末になるので、それまでは灼熱部屋で眠れぬ夜を過ごす。頭上には動かぬエアコン。窓を開けて微風で涼をとるのだが、ふと考えてしまった。放置したエアコンの中のことを。

 動かさずに1年以上経ち、エアコン内部がGの巣窟になっているのではないか。その妄想に取り憑かれてからは、ベッドの上で金縛りのようになってしまった。最近になってGへの恐怖心が爆上がりしている。そいつらが頭の上の筐体の中に無数に居ると想像するだけで、恐怖で逃げ出したくなる。

 思い返せばGのことは子供の頃から怖い。最近では虫も苦手で、レアなクワガタが木に止まっていたとしても触れないだろう。子供の頃はあんなに大好きだったクワガタやカブトムシだけれど、今となってはGの亜種くらいの感覚で見ている。僕が虫嫌いになったのには、明確なタイミングがある。

 真夏に虫取りに熱中するのは子供のデフォルトだ。記憶にインプットされた虫狩猟本能があるのだろう。母親に「日射病になるから帽子をかぶれ」と言われても帽子をかぶらない子供だった。日射病になったことがないからだ。そういえば、日射病が熱中症と呼び名を変えたのはいつのことだろう。

 そうやって草むらにこもって、主にバッタを取りまくっていた。さんざん取った挙げ句、最後には虫カゴから草むらに戻すキャッチアンドリリース方式を採用していた。それは、前にカマキリを虫カゴに入れて家の玄関に置いていたら、卵から無数の子カマキリがわいてきて酷い目に遭ったからだ。

 それ以降、虫の持ち帰りはやめていた。それでも本能の赴くままに虫狩猟に明け暮れていたのだが、ある日、何の気なしに見たショウリョウバッタの腹が気色悪くて、草むらの中で凍りついた。ゾワゾワと肌が粒だち、そいつを放り投げて以来虫捕り本能は消えた。あれは38年ほど前の話である。

千葉名産のながらみ。昆虫は触れないが、珍味系は食べられるようになった。