すべてがGにある

 僕は「ゴルゴ13」が好きだった。もちろん漫画の方だ。アニメは観ていない。実写版の映画は怖いもの見たさで興味はあるが、そちらも観てはいない。好きだったと過去形にしているのは、今は好きではないという意味ではない。単に最近は読んでないからだ。そう、ゴルゴ13は読み物なのだ。

 ちょっと前に「ゴルゴから学ぶ世界情勢」みたいなムック本が出ていたと記憶している。原作者のさいとう・たかを氏は「ゴルゴはあくまで漫画なので世界情勢なんかは単なる舞台に過ぎない」というような話をしていたのだが、実際に起こっている紛争を描いているので、多少の学びは得られる。

 僕も世界を揺るがす何某かのトピックスがあると、ゴルゴならどう解決するんだろうと考えたりしたものだ。コロナ自粛世界になった際にも、ゴルゴの動きには関心があった。そんな折に原作者のさいとう・たかを氏が亡くなってしまった。それでもゴルゴは残ったスタッフにより描き続けられる。

 さいとうプロが創り上げた分業システムにより、漫画の頭脳であるさいとう・たかを氏が不在でも漫画はできるのだ。これは、人の死の新しい解釈ではないだろうか。つまり、このシステムによりさいとう・たかをは死なないのだ。分業による集合知が、各々のさいとう・たかをを描き続けるのだ。

 この感覚は、僕の好きな森博嗣の作品群の世界観に近いと思う。ネタバレになるので、森作品を未読で興味がある方は以降は読まないでほしい。森博嗣の「すべてがFになる」に続く一連の作品に描かれ続けている真賀田四季という人物がいる。彼女の成り立ちが、まさにさいとう・たかをなのだ。

 最新の森博嗣作品(真賀田四季関連)では、作品世界は22世紀となっている。その作品の中で真賀田四季は250年は生きていることになっている。医療の進歩によって人が死なない世界という設定ではあるが、果たしてそれは肉体的に生きているのか。この点にさいとうプロとの類似性を見る。

僕は読んだ本のことをほとんど記憶に残していないので、内容は覚えていない。