ただひとつのルールは優しさ

 僕はあまり気にしないのだが、老舗の酒場などには常連客の定位置があったりする。知らずに初見が座ったりすると、他の常連から注意される。店の人間は特に何も言わなかったり、または目顔で何かを訴えたりすることもある。子供の頃から今に至るまで、このような不文律には違和感しかない。

 ある時期から「空気を読まない」方が正義というか、同調圧力に負けないことの大事さを強調されることがある。僕はほどほどに空気は読んだ方が良いと思うのだが、それは自分が知ってることに限られる。初見の店でローカルルールを押し付けられても困るし、それが強い店には二度と行かない。

 たまに、いま僕が通っている店に来る初見のお客さんが、イチバン奥のカウンター席を遠慮する時がある。いわく「常連さんの席」だと思っているらしい。それは、単純に落ち着かない席を断っただけかもしれない。でも、その人の感覚として常連の専用席があるような店だと思ったということだ。

 そりゃ、カウンター席の人間がみんなそれぞれランダムに会話していれば、常連しか集まらない店だと察するに決まっている。こういう閉じた場にローカルルールを作るのは、やはり常連なのだろう。変な客に居座られて気分を害するのは、今までその店に大量に課金してきた古い常連たちなのだ。

 しかし、そのルールは店を守らない。常連たちの居心地だけを保証するルールだ。そんなものを作ってはいけない。そもそも、常連バリアで入りにくくしている時点で、小さな営業妨害だと思うのだ。そう感じながらも、居心地の良さに甘えて僕も席を譲らない。そのうち酔ってどうでも良くなる。

 ここ数年、世の中には場当たり的なルールが適用されている。その時の状況に応じて、という体裁で生きづらい社会を強要されている。そう感じながらも、どこかで制約があることを楽だと感じる部分もある。それさえ守ってれば良いという単純さは、考えなきゃいけない煩わしさを消してくれる。

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常連ヅラしてレギュラーメニューにはないカレーを頼む人間に成り下がった。