ペアのヤングにゃ敵わない
幼い頃、お祭りの屋台は心躍るものだった。少ない小遣いを握りしめ、立ち並ぶいくつかの屋台の中から最高のコスパを求めて考えを巡らせる。しかし、思考を遮るのは屋台の情報量と祭りの高揚感だ。ケチくさいことを考えるのが「しゃらくさい」と感じてくる。日常会話では使わない言葉だが。
でも、予算に限りがあるので、結局いつもりんご飴などの保ちがいい食べ物を片手にウロウロすることになる。そして、かなりの高確率でりんごを支える割り箸が折れて地べたに落とす。あまり惜しいと思わないのは、落ちた時点ですっかり飽きているから。飽きたら落ちる仕様なのかもしれない。
そんな屋台の定番で、誰もが思いつくのは焼きそばではないだろうか。異論は認めるが話を進める。子供の頃は焼きそばに見向きもしなかった。焼きそばといえば家の常備食としても定番なのだ。わざわざ祭りの日に食べる気にはなれない。それよりも、子供にとっては甘いものとオモチャなのだ。
大人になって味覚が変わってからは、焼きそばを食べることもある。しかし、それでも子供の頃に抱いた「わざわざ」という感覚は残る。よく例えられる「海の家のラーメン」みたいに、そこで食べるから美味く感じる裏グルメみたいなことはあるだろう。果たして祭り焼きそばがソレに当たるか?
ここでは答えは出ないし、出す必要もない。僕が言いたいのは、焼きそばはいろんなところで便利使いされているということ。ある時期から「ご当地焼きそば」が乱立している。想像では富士宮焼きそばがBグルでブレイクして以降ではないかと思う。そこから「ご当地」の掘り起こしが始まった。
ここで言う焼きそばはソース焼きそばだが、ソースを使うとどんな食材でもソース味が勝ってしまう。だから、どんなに食材を工夫しても味は代わり映えがしない。ただ、作り手によって味が変わる場合はある。上手な人が作れば、やはり美味い。でも、それはご当地うんぬんとは別の問題である。