クラフトマン魂なき中年

 昨日、仕事の連絡待ちで時間が空いてしまい、持て余した挙句、ちょっと前にもらったペーパークラフトを作ってみることにした。ずっと作らないで放置していたのは、妹の子供にでもあげようかと思っていたからだ。でも、クラフトするのが横浜スタジアムなので、あまり興味なさそうではある。

 で、いざ作り始めると、想像以上にパーツが多くて面倒だった。1枚だけだと思っていた台紙は、折り畳まれたA3が2枚入っていた。これは時間を埋めるのにはちょうど良いボリュームだと思って、気合いを入れて作りはじめた。細かい作業に没頭するのは時間を忘れるのにはもってこいなのだ。

 ハサミもノリも使わないので手軽でサクサク進むのは良いのだが、細かい部分の精度はイマイチだ。ひとつひとつのパーツをもっと丁寧に折りたためば良いのかもしれないが、僕はどんな作業もスピード重視になってしまう。途中で「仕上がりには期待できない」と諦めながら作業を進めていった。

 最後に球場周辺の照明を各所に差し込んで仕上がりなのだが、その照明を作っているところで客先から連絡が入った。仕事の方も最終の仕上げ段階の連絡だったので、クラフトの手を休めて業務に集中した。電話で指示された通りに修正して完了。その段階でクラフトのことは頭から消失していた。

 すっかりクラフトへの情熱を失ったとはいえ、作りかけの紙くずを放置しておくわけにもいかないので作り上げた。最初からわかっていたことだが、それは横浜スタジアムジオラマだ。まったく必要がないものだ。作る前はあんなにスマートだった包装も、出来上がってしまうとジャマな立体だ。

 作り終わった時に、子供の頃の記憶がうっすら蘇った。僕の子供時代といえばガンプラ全盛期だ。僕も熱中して作ったはずなのだが、作った後のことはあまり覚えていない。目的が作ることだけで、仕上がったプラモには興味がなかったのだ。この感覚は今でも変わらず、クラフトも仕事も同じだ。

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打ち捨てられたクラシックカーも、かつては誰かの情熱の対象物だったはず。