迷って選んでハズせ

 うろ覚えの場所にクルマで行く時に、この信号か次の信号かを迷うと、かならず後から思いついた方を選んでしまう。この場合は「次の信号」ということになる。で、それは絶対に間違えている。最初の信号を通り過ぎる時に気がつくけれど、後の祭りだ。このように、僕は二択をハズす男である。

 特にクルマでの選択ミスは多い。カーナビ装着が当たり前のご時世だが、中古車にしか乗らない僕のクルマはカーナビから壊れる。10年以上カーナビ装着車を乗り継いでいるが、ナビが生きている期間はその半分にも満たない。スマホで事足りるから問題はないが、道を間違うという弊害はある。

 そもそも、最初の例で言うと「この信号か次の信号か」と思った時点で、それは曲がる合図なのだ。前に来た時の目印として、次の信号まで含めた景色を記憶しているから迷うのだ。曲がる信号の角にあるモノを目印にしなければいけない。でも、僕が行く辺鄙な場所には、確たる目印がないのだ。

 あと、僕は渋滞が嫌いだ。高速道路の渋滞は諦めがつくけれど、一般道の渋滞は抜け道で回避したい。地元の道ならば、だいたい予想がつくので迷わず脇道に入る。すると、一方通行の矢印に従って進むうちに元の渋滞道に戻されることになる。狭い道を走っただけで、ショートカットできてない。

 これ以外にも、二択で迷うのは交差点だけではない。名前の読み方で、同じ字で異なる読み方の場合はテレコになることが多い。ちなみに、この「テレコになる」という表現は最近では伝わらない。僕の同世代には伝わるけれど、ジジ臭いとは思っていたので、僕以降の世代には死んだ言葉だろう。

 いつも迷うのが「新垣」だ。これは「あらがき」か「にいがき」か。どちらの読みも使われているけれど、その字の人をどちらの読み方で呼んでも構わないというフレキシブルな社会ではない。その人には、その人の読み方がある。だから迷う。そして二択ハズしの天才である僕は、必ず間違える。

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タイ料理では、ガパオとカオマンガイを間違えがち。トムヤムクンは大好物。