がらんどうの街に独り

 正月や夏休みなどで、街が異様な静けさに包まれている時がある。シーンと白けているような、キーンと冷えているような、瞬間的に街が無機質な書き割りのように感じることがある。単に視界内に人間がいないということだけじゃなく、その人間の気配が、生活の匂いがしない魔の時があるのだ。

 この無機質で「人の消えた街」と感じる魔の時を、以前は「正月みてーだな」と自嘲気味に言っていた。郊外の街を友達とドライブしていた時に、その街があまりに何もなさすぎて思わず友達が「正月か」と言ったのを機に、そう感じる瞬間って「よくあるよなぁ」と思った。軽いデジャヴである。

 その「正月感」を紐解いてみたら、同様の魔の時は夏の盛りにも感じられることが分かった。猛暑日の日中は、ベッドタウンのわが町は人影がまばらになる。お年寄りは日陰で涼んでいたりするのだが、その気配は極めて微弱だ。特に、お盆になるとひと気は消える。子供もいなくなるからだろう。

 緊急事態宣言下の東京でも、きっとそんな正月的風景が見られたのだろう。かつて、映画「バニラ・スカイ」の中で、無人の都会で独りっきりというシーンがあった。内容は覚えていないけれど、大都会で誰もいないってことが人間を不安にさせることを知った。できれば実際に見てみたいものだ。

 僕が好きな工場群と、この無人の都会の無機質さには共通点があるような気がする。都会も工場群も、視覚情報的にはうるさい。そのうるささが無機質なモノに生命感を与えているような気がする。でも、都会の場合「普段なら人がいる」ので、その生命の息吹をリアルな人間に奪われているのだ。

 たぶん緊急事態宣言が再び出されることはないと思うので、リアル無人都会を拝むチャンスは本当に「正月」くらいしかなさそう。それにしたって場所と時間を選ぶだろう。商業施設は正月も休まないから、オフィスビルの乱立するエリアを探すしかない。でも、そこで何をするかが思いつかない。

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ジョギング途中でひと息入れていたら、目の前は無機質な一瞬の夏。