夏野菜を召し上がれ

 僕は野菜が好きだ。家の食卓では必ず大皿のサラダが用意される。思春期の僕の食欲を記憶している母親が、いまだに大量のサラダを作ってくれる。今ではそんなに食べられないのだが、残った野菜が翌日も残念な状態で出てくるので、食べきるようにしている。だから、次の日も大量に出てくる。

 今に至るまで、半世紀近くずっと実家住まいだ。学生時代は独立心が強かったのだが、この歳になるとあまり「実家を出なければ」という感覚は薄れてきた。むしろ、高齢者の域に達して来た両親が心配でもあるので、実家を出にくい状況とも言える。今さら独り暮らしというのも薄情な気がする。

 ただ、大学時代は世田谷まで通うのが大変というか、部活をしていたので朝練などが家からだと出られない時がある。朝練に行かないという選択肢はないので、必然的に寮に入ることになる。寮では朝晩の食事が出るので、その点に問題はなかった。他の連中は文句言っていたが味も悪くなかった。

 1年生の間は食事当番というのがある。寮母さんを手伝って食材を用意したり、食事の準備や片付けをする役だ。ただ、調理は寮母さんがやっていた。僕らが何かを作ることはない。その時の経験で皿洗いは早い方なのだが、見た目が大柄なので周りからは早く見えないようだ。いつも注意された。

 その後、その寮を出て、別の学生寮に入った。そこでは食事が出ないので、学食などで済ませなければいけない。ラグビー部員は「太れ」と言われるのだが、外食で太るのにはそれなりの資金が必要になる。それでもなんとか近場の安い食堂で毎日腹を満たしていた。あとは合宿で爆食するだけだ。

 最終学年になり、学生寮からも「出ていけ」と言われたので、晴れて独り暮らしとなる。その地域では格安のボロアパートだ。そこで料理するのだが、毎日5合の米を炊きツナ缶等をオカズに食べていた。調理は米を炊くことだけ。たまにシシトウを買って、グリルで焼いて食べるのが好きだった。