極めて微細なヒーロー願望

 よそ見してクルマの前に飛び出してしまった子供を、沿道から駆け込んで身代わりになる大人の姿を何度か見たことがある。もちろんそれは漫画やドラマの中での創作。それでも、交差点で信号待ちをしている時に、挙動が怪しい子供を見かけると、自分は「飛び出して守れるか」と問うてしまう。

 どこかで、その子供の挙動の怪しさを「危ないからジッとしていなさい」と諌めない親に責任転嫁してしまう。想像の中では、飛び跳ねた勢いが余って車道に転げ出てしまった子供がダンプの目の前で凍りついている。親は固まったまま動かない。その姿に親への怒りが湧いてくる。想像の話だが。

 これと似た状況で、駅のホームから落ちてしまった人を迫り来る電車から助けるパターンもある。この場合は、まず間違いなく助けられないだろう。電車の事故に関する都市伝説的な話はよく聞く。ものすごい額の損害賠償請求されるとか、飛散した人体の欠片が起こす超常現象的な出来事などだ。

 オカルト的な話はどうでもいいとして、もし仮に僕が駅のホームから飛んだ自殺志願者を助けて、その身代わりに死んだら遺族に損害賠償請求がなされるのだろうか。そうなると遺族側から自殺志願者に対して提訴し、泥沼化するような気がする。僕が命がけで助けた人間を訴えるという地獄絵図。

 とにかく、僕の中にも微小なヒーロー願望があって、子供のピンチに駆けつけて助けるみたいなシーンがいつか訪れないかなとは思っている。でも、体が自然に動くとは思えないので、常に意識していないとチャンスをモノにできない。それに、とっさに走ると絶対に肉離れするので調整も必要だ。

 これはあまり人に話したことがないのだが、僕は、特撮ヒーローものなどで敵組織の中ボス的な女性(アニメでいうドロンジョ的な立場)がちょっと好きなのだ。そんな捻じ曲がった趣味の僕が子供のヒーローになろうとするなんて無理がある。だから、これからは交差点では悩まないことにする。

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ヒーローといえばバイクだが、僕は公道で原チャリすら乗ったことがない。