ジュライなベイベー

 誰しもが、夏にまつわる浮ついたエピソードをひとつくらい持っていることだろう。仮に、歌の歌詞になるような「ひと夏の経験」的なものじゃなくても、非エロで楽しい思い出くらいならあると思う。僕に関しては非エロ方面の思い出しかない。むしろ通年で見ても、エロい思い出はうすい方だ。

 本気で夏をものにしようとするハンター(そんなヤツがいると仮定して)であれば、勝負は夏前からはじまっている。サマーボディづくりのために鍛えて、海辺で映えるカラダに仕上げておく。梅雨時期に合コンなどの種まきをしておき、夏になったら海とバーベキューで収穫だ。すべて想像だが。

 ハンターと仮定したのに、最後の方は農家的なんだよな。僕自身がハンター気質じゃないから、ついコツコツと作業する方の立場になってしまう。安易に分類される「肉食」というカテゴリーの人にしても、言われ方は曖昧な部分がある。ある時は狩人だし、ある時は肉食動物という狩られる方だ。

 僕は、日本的な正しさを表現する時に「サムライ」を用いる風潮があまり好きじゃない。かつて沢田研二が歌ったサムライは、生き方としては無頼漢を描いた曲だが、死に様としてサムライ的な散り際を表現していたんだと思う。葉隠の「武士道とは死ぬことと見つけたり」を曲解した歌詞である。

 この死ぬことと言うのは「自分を殺して状況に則った正しい行動ができるように」と己を律する心得のことだと思う。その意味では野球の日本代表である「侍ジャパン」は言い得て妙なのである。チームのための自己犠牲は、日本のスモールベースボール的とも言えるので、言葉の相性は悪くない。

 夏のピンクな恩恵のために街や盛り場に繰り出す行動は、サムライと言うよりは「山賊」的だ。もっと言うと、このプリミティブな欲求に対して中世以降の価値観を当て込むことは無意味だ。原始時代から続く、人間の生存本能なのだ。だから、ナウマンゾウのように獲物を追わなければいけない。

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北陸の夏の海。太平洋よりも日本海の方が落ち着く。遠いけど。