共感は後からついてくる

 小さい頃に見たアニメの記憶というのは、鮮明に残っているけれど事実確認はできてない。どこかで記憶を改ざんしている可能性があるからだ。もちろん、それを本気で調べようと思うのならネットでいくらでも検索できるとは思う。でも、その鮮明な記憶の方は死んでしまうような気がするのだ。

 マニアックな人は、そういう事実誤認をしないで覚えている。仲間内で話したりするときに、記憶違いを指摘されると気分が悪いからだろう。マニアックな人たちの間では「知識」こそ正義だ。それの量で勝負してくる。どちらがより「知ってるか」のマウンティング合戦を楽しんでいるのだろう。

 そんなわけで、マニアック度の低い僕が古いアニメのことを少しだけ記すけれど、記憶違いは訂正しないで進める。「巨人の星」という、まあ僕の世代でもオンタイムとは言えないオールドスクールな野球アニメがある。極端なトレーニングで魔球を開発するという、スポ根マンガの金字塔である。

 主人公の星飛雄馬(『ひゅうま』と打ち込むと一発で変換される)がプロ野球入りする前に、父親と食事をするシーンがある。父親とは星一徹のことだ。飛雄馬に対して厳しく接するところしか見たことがなかったのだが、その食事のシーンでは「好きなものを食べろ」とメチャクチャに甘やかす。

 子供心に一徹の甘い姿は気持ち悪いのだが、その一徹に対して飛雄馬は「いい加減にしろ!こんなの父ちゃんじゃない」的なことを言って逆上する。そうやって逆上する姿を見ると、これも子供心に「察せよ」と思ってしまう。それは、厳しいプロの世界を前にした最後の親子水入らずなのだから。

 同級生と話していても、この手の話は出てこない。当時は、マニアックであることは恥だったからである。人と違うことにしか価値を見出していなかった僕でさえ、周りのそんな平均化には同調したフリをして過ごしていた。そのせいで、本当に面白い人と話す機会を逸してきたという実感がある。

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青春時代、暴力が支配する世界では強がらなければ生き残れなかった(嘘)。