できないことがある

 なし崩しフリーランスの現状では、どんな仕事でも断らないようにしている。もちろん違法行為は断るし、仕事として違法行為を依頼されることもない。仕事の種類が「ちょっとズレてるなぁ」と感じても、自分の力になりそうだと思えば受ける。ただ、もう基礎体力作りは不要かなと感じている。

 結局、僕以外のフリーランスの人がやらない仕事が僕に回って来る。最初のうちは仕事をもらえるだけ有難いと思って、今では不本意に感じるような仕事でも引き受けた。でも、そういう仕事は消耗する。いつも以上に疲れるのに、達成感よりも「徒労」と感じる。何も身についていないのである。

 どんな仕事でも、やりがいを感じて意欲を持ってやれば意義はあるという捉え方もできる。だから、最初の頃は気の持ちようだけでやって来た。体育会系が最後に頼るのは「気合いと根性」なので、そういったオプションを用いて乗り切ってきた。でも、どれだけ工夫してもやりがいは芽生えない。

 まず、その仕事をすることに対して「不本意である」という思いが払拭されない。僕がやる意味が見出せないのである。どう考えても、外部の人間に任せるには荷が重い業務なのだ。僕がやると、無駄が多くなる。不要な説明をしなきゃいけなくなる。そんな想像は、考えるまでもないことなのだ。

 これは甘えでもあるのだが、仕事先は僕のことなど考慮するわけがないのだ。先様の都合で仕事を振ってくるので、その都合と合わなければ「断ればいい」だけのことなのだ。僕が仕事を断らないから、先様も「何でもやるな」と思って頼んでくれているわけだ。だから、迷わず断わって良いのだ。

 僕の性格上、一度断るとクセになる。かつて部活の指導者のひとりが「水は低い方に流れるからな」と、選手の意識が下がってしまうことを例えて戒めていた。僕も絶賛下降中。いつだって、より低い方へと落ちている。劣化と落下はよく似ている。そして、悲しいことにコレは歯止めが効かない。