我は知の伝道師なり

 本を読んで新しい知見を手に入れると、早く人に話してその知識を自分の中に固定化したくなる。論を立てたくなるのである。多くの人に話している間に、自分なりの表現力でその知見を説明できるようになる。そこまでいったら、その知見はすでに僕の中で消化された自前の知識と言えるだろう。

 ただ、僕は知ったかぶりが恥ずかしくて許せないタイプなので、いつまでも出自にこだわってしまう。流暢に話せるようになった知見でさえも、その出自は「あの本から」と注釈をつけてしまうのだ。別に論文を出しているわけじゃなく、単なる世間話なんだから出自は問われないとは思うのだが。

 その話を聞いた人が、それを気に入って他の人に話すときに「◯◯が言ってたんだけど」と、僕発信の話として拡散されるリスクに備えているのである。それを聞かされた人が元ネタの本を知っていたら「それってあの本に書いてあるじゃん」って言われる。それで呆れられる自分への救いの手だ。

 そうならない手法としては、とにかく本の内容というより、本そのものに対する評価を語るのが伝わりやすいと思う。自分が得た知見を、僕の一人称で語るのではなくて、その本では「こう言っていた」と伝聞の体裁で話せば良いのだ。その代わり、僕なりの編集が入るので偏向報道気味ではある。

 こういう伝え方をすると、どうしても冗長になってしまう。余分な説明言葉が加わるので、会話のテンポを著しく阻害してしまうのだ。だから、なるべく短い時間で伝えようと早口になってしまう。でも、詰め込まれた言葉の圧が人に与える印象は最悪だ。そう考えると伝わってない可能性が高い。

 昨夜は、酒場で数人の常連客に、最近読んだ「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」を激推ししてきた。ちょっと古い本だが、まだ読んでない人にとっては興味深い内容があると思われる。特にプロレス黎明期の話は、子供の頃からプロレスを見て育った同世代には刺さる話だと思うのだが。

f:id:SUZICOM:20200209152659j:plain

この本、作家の思い入れがたっぷり込められた極上のノンフィクションだ。