すべての青春サバイバル

 チラッと聞きかじったニュースの話だが、韓国のアスリートが学生時代にチームメイトと行なっていたイジメを暴露されて、出場停止などの処分が下されたそうだ。そのニュースを見ると、イジメというより、もっと暴力的なニュアンスが含まれていた。それでも記事の題名はイジメとなっていた。

 こういう報道の中で〈チームメイト〉という言葉が使われるのが非常にもどかしい。それは仲間であり、学生なら普段でも友達だろう。そういう関係に与える言葉を、被害者・加害者が分かれるような対立構造の中で使うのが気持ち悪いのだ。詳しい事情は知らないが、言葉の違和感を述べてみた。

 僕はドラマや創作の世界だと分かっていても、イジメのシーンを観ると気持ち悪くなる。1人で観ていたら、知らないうちにイジメている人間に対する呪詛を呟いているだろう。僕もイジメに加担したことはあったはずなのだが、長じるとこんなに嫌な気分になる。あの頃を思い出すからだろうか。

 学生時代に人間関係で絶望して上手く立ち直れなかった人の中には、心に傷を負ってしまう人も多いだろう。誰もがその危険性をはらんでいたと思うし、それは僕だって例外じゃないと感じていた。僕が人生をやり直したいと思わないのは、あの学生時代をもう一度サバイブする自信がないからだ。

 あの頃は、そういう些事に左右されない規格外の人間に憧れていた。僕のボディサイズを考えれば、その方向性は間違っていないと思われる。背の高さを利用して別次元に生きるのだ。スポーツで突出するのが近道だと思ったが、突出するには3倍努力しなければいけないと木村政彦が言っていた。

 結局スポーツのおかげで、僕は学生時代をサバイブできた。本当ならスポーツに恩返しをしなければいけない。プロスポーツにお金を落とすこともある種の還元なのかもしれない。でも、自分の学校のOB会費や差し入れをした方が還元されている実感が持てる。後輩たちにもサバイブしてほしい。

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まるで墜落したかのような飛行機雲だが、単なる方向転換なのだろう。

思考のタネを植えてくれ

 僕は仕事を断りたくない。人から頼まれたら引き受けたいし、引き受けたらちゃんと終わらせたい。できれば早く終わらせたい。別に早く終わらせることで別の仕事にすぐ移れるからということだけではない。頼んだ仕事が早く終わったほうが、頼んだ人も嬉しいだろうと勝手に思っているからだ。

 断らないけれど、割と無茶というか、自分にできないことを頼まれることがある。その際には「それは誰々に頼んだほうが良いと思う」と伝える。そう伝えても結局コチラに戻って来ることが多い。それは僕の人間的魅力ということではなくて、単純に頼みやすいということだけだと思う。安いし。

 無理を押し通されて不快かと言うと、むしろ新しい仕事をできる嬉しさのほうが大きい。新しいということは大変なこともあるのだが、この歳になって勉強できる新しい素材があることのほうが貴重だ。ただ、そういう仕事だからと言って無制限に時間があるわけではないく、締め切りはあるのだ。

 そんなタイミングの悪さで不愉快になることは多々ある。新規の案件は、考えて勉強しながらじっくり取り組みたいのに、その猶予はないのだ。間に合わない場合は早めに断るようにしている。本当は断りたくないのだが、できないことを引き受けても迷惑をかけるだけだ。判断は早いほうが良い。

 いまも新しく頼まれた仕事が、頭の片隅でアイデアを熟成させている。まだ芽は出ていないし、どこに着地するのかも皆目検討もつかない状態だが、思考が頭の中で自動計算しているような時間は好きだ。そのうち具体化してくれる場合もあれば、外からの刺激でパッと名案が思い浮かぶ時もある。

 常に頭の中にタネを植えておくのが大事で、そのタネは仕事に限らず、自分の日常を便利にするアイデアでも構わない。何かを気にしておくことで、その対象への意識が変わり、新しいアプローチが湧いて出たりする。季節が暖かくなって来ると、我ながら安易にポジティブになるものだなと思う。

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建設中の足場のようなものを想定して、頭の中をリフォーム工事したい。

瀬戸際の攻防に弱い男

 僕にはむかしから、土壇場でひと押しされると転んでしまう気の弱いところがある。何かを成し遂げる時は、情熱が大きい方がそれを行うべきだと思ってしまう。僕にはあまり情熱がないので、熱い誰かにいつも負けてしまうのだ。能力の問題なんて関係なく、最後の決め手はなんでも熱量なのだ。

 この月末で絶対に終わらせたい仕事があった。来月になると別の仕事でバタつくので、早めに手を打っていた。ところが、最終局面になって進んでいた内容の一部を差し替えることになった。その対応が週末になるので、結局フィニッシュは週明けとなる予定だ。しかも、さらにズレ込む予感あり。

 僕が最後の方で甘い言葉を吐いてしまったのがすべての元凶なのだ。僕の締め切りとリアルの締め切りに差があり、そのリアルの締め切りを言わなくてもいいのに口を滑らせてしまったのだ。それを教えて困るのは僕だけなのだが、なんとなく嘘をついているような状況に我慢ができなくなるのだ。

 そんな自爆により、この週末はポカンと予定が空いてしまった。仕事が詰まっていれば休日の時間もやり過ごせる。でも、予定がなくなると飲みたくなってしまう。厳しく節制しているわけではないとはいえ、毎日体重を計っていると増減が気になって知らないうちに自分でセーブしてしまうのだ。

 そもそも昼食は、こんな自粛世界でなければ普通に毎日ラーメンになるのだ。仕事していて街に出たら、そこにはラーメン屋しかないのだ。僕の体を気遣ってくれる母親のような食堂は、この世で唯一、我が家しかないのだ。だから、こんな世界のおかげで偶然いまだけ節制できているに過ぎない。

 保健指導でもラーメン禁止とは言われなかった。そりゃ当然、向こうも健康に難アリな人間に「なんでも食べて良いよ」とは言わないだろう。そろそろ限界だなぁと思ってはいるのだが、仕事ではあらゆる瀬戸際に敗れ去った僕なので、ここだけは死守したいという気持ちが芽生えてしまっている。

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今は食欲の蓋に鍵をかけているが、この程度の南京錠なので軽く壊せる。

もらってうれしいノベルティ

 何か商品を買った時に、キャンペーンなどでノベルティグッズがもらえることがある。ここ数年クリアファイルが増えた気がする。当初は使い勝手が良いのでもらえると助かったが、もう我が家でも余ってきている。ダブつきはじめると次の手が打たれるもので、今はマスクケースに変わっている。

 マスクケースがクリアファイルと同じ材質のものかはわからないが、ノベルティグッズには〈いま役に立つもの〉が選ばれる傾向があると思う。企業としては広報活動なので、使った人に良い印象を与えるグッズでなければ意味がない。そういう意味ではマスクケースはまだデリケートな気がする。

 現状がクリアになった時にまず思い浮かぶ映像としては、アメリカの大学の卒業式で帽子を空にぶん投げるみたいに、世界中の街角でマスクを空に放り投げる姿だ。実際にそんな日が来るのかはわからないし、来たとしてもマスクを捨てちゃダメなのだが、心象風景としてはマスクをぶん投げたい。

 状況がそういうフェイズに移った際は、ぶん投げても溶けてなくなる自然素材でできたマスクがノベルティで流行るかもしれない。パンデミックの象徴であるマスクを捨てる行為は、嫌な過去を捨て去って未来に向かう勢いを感じさせるではないか。でも、今の社会じゃ叩かれそうな行為ではある。

 話を戻してノベルティ。僕はビールが好きで、家で飲む時もグラスに注いだ方が美味しいと思っている。だから、たまにスーパーなどでグラス付きのセットで売っているビールにはつい手が出てしまう。普段飲まない銘柄には興味ないけれど、珍しい輸入ビールのグラスなどは迷わず買ってしまう。

 酒場に足繁く通っていると、ほんのたまにグラスの廃棄処分を手伝う時がある。「どうせ捨てちゃうからもらって」と言われて、いくつものグラスを持って帰って来た。こちらも先のクリアファイルと同様にダブついている。しかも、クリアファイルなんて場所を取らないが、グラスは邪魔なのだ。

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朽ちた建物(朽ち建)の写真入りクリアファイルならいくらでも欲しい。

地団駄踏んだんだ

 先日から食生活をほんの少し改めて、運動をするようにして、体重を減らそうと努めているところだ。今までより日々の生活が改善されていると思われるので、最初の週はてきめんに体重が落ちた。このペースだとひと月で目標に達してしまいそうだと甘く見ていたら、今週になって足踏み状態だ。

 体重が減らない日があるのは何となく納得できるのだが、増えるのが理解できない。食事制限というほど厳しい減量はしてないが、かと言って何も遠慮せずに食べてたりはしていない。ひとつ気になるのは、朝昼晩3食必ず食べるようにしたこと。今まで朝は食べなかったので、その分は増えそう。

 食事のバランスは悪くないと思う。料理は母親に作ってもらっているが、それを好き嫌いなく食べている。もともと野菜好きだし、我が家には年寄りが多いので肉料理はアッサリしたものしか出ない。だから太る要素なんてないと思うのだ。それに加えて、ここのところ毎朝ジョギングをしている。

 などとトボけているが、昨日の祝日に近所の居酒屋が昼から開いていたので、顔を出してしまったのだ。その分の摂取カロリーがしっかり反映されている。野菜の料理しか食べなかったのだが、それでも間食には違いない。本当はガッツリ食べようと思ったのだが、セーブして微増というのは痛い。

 あと、スタートダッシュで張り切りすぎると息が上がるという心配もある。保健指導の担当者とは週3日のジョギングと決めていたのに、なんとなく毎日走ってしまっている。早く成果を出したいのだが、やりすぎて成果が出なくなったら投げ出してしまいそうだ。僕は筋金入りの意思薄弱なのだ。

 救いなのは、まだ気持ち的に追い詰められている感覚には陥っていないことだ。半年で目標に達すれば良いのだから、今から思い詰める必要はない。ただ、この一喜一憂は密かにちょっと楽しい。今朝は微増したとはいえ、毎日順調に減っていく達成感も嬉しい。珍しくジョギングも続いているし。

一筆書きでは生きられない

 いろんなことをシンプルにしていくと、無駄のない生き方ができるような気がする。〈ミニマリスト〉というライフスタイルがあるが、全部捨てて最低限で暮らすのも悪くないだろう。最低限なので迷わないし、その分を別の建設的な思考に回せるということだ。良いことしかないとは思うのだが。

 若い頃は、スニーカーを衝動買いすることがよくあった。足のサイズが大きいので、ある時に買っておこうという発想があった。あとで「買っておけば良かった」と思わないように、気に入ったものでサイズが合えば買ってしまう。その都度、母親から「いくつ足があるんだ?」と嫌味を言われた。

 もちろんコレクター体質ではないので限度はあるし、リッチマンだったこともないので、それは〈安くて気に入ったもの〉に限る。それでも、靴箱には無駄に場所を取る僕のデカ足用のスニーカーが占めてしまう。気に入ったものを高頻度で履くとは言え、数が多いので劣化せず長持ちしてしまう。

 本当は気に入ったスニーカーを7色揃えて、1週間で履き回すみたいなことをしたい。自分固有のライフスタイルがあれば、それに当てはめれば良いだけなので、極端なミニマリストにならなくても日常に取り込みやすい。スタイルを持つ人をオシャレと呼ぶ傾向があるので、その称号も得られる。

 そういうアイデアは浮かぶのだが、現状がとっ散らかっているので修正が効かない。全部捨ててリセットするには先立つ資金がいる。本当に必要なものを最低限にするだけでもかなり軽くなるはずなのだが、そういう算段を具体的に進められないのは、僕が本気でそうなりたいと思ってないからだ。

 ジョギングしながら、全部の服をジャージやスポーツ用品に統一したら楽だろうなと思った。ジャージというのは機能性の最たるものだ。ジャージ素材はオシャレ着にも取り入れられているが、そうじゃなくていわゆる運動着だ。スタイルを決めることは制限を作ることだが、それが窮屈に感じる。

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ジョギング中に縞板を発見。この素材感に惹かれつつ用途は何も浮かばない。

言葉の境界線を行く

 数字の語呂合わせで設定される記念日がある。今日は2のゾロ目なので、ニャンニャンニャンにかけて〈猫の日〉だそうだ。こういうダジャレ的な言い回しは日本でしか通用しないよな、と思って調べると、世界各国でそれぞれの猫の日が独自に設定されている。日本のダジャレは通用しなかった。

 むかしTVで観ていた映画の吹き替え版などで、海外の役者が日本的なダジャレを当てられているのを何度か観た。元のセリフでは絶対にそんなダジャレを言っているはずはないし、そもそも英語でそれを言ってもジョークとして成立していないだろうと思うのだが、そこを上手く当てはめていた。

 それは吹き替えを考える人の遊び心なのか、製作側からの発注によるものかはわからない。ただ、映画の雰囲気を損ねることなく、ストーリーの進行の妨げにもならないようにダジャレで色を添えるというのは至難の技のように思えた。そういうセリフを聞くたびに、大変な仕事だなぁと感心した。

 僕は、ある時期〈すべての言葉をダジャレで脳内変換する〉という取り組みを密かに行っていた。他人の発言を音の響きだけで聞くと、似たような言葉を当てはめることは容易にできる。ただ、それが意味をなす文字列になることは稀だ。ほとんどのダジャレは出尽くしてしまっていると思われる。

 それでも1日100個を目標に、隙を見てはダジャレを言っていた。別に面白くもなんともないのだが、回数を増やすことで地力を付けたかったのだ。ダジャレ王への道を目指したかったわけじゃなく、なんとなく言語感覚に優れた人間になりたかったのだ。その練習が〈聞き間違い〉だったのだ。

 いま改めて考えると何のための練習だったのかと思う。もしかしたら先のダジャレ吹き替えに起因しているのかもしれない。英語を日本語に置き換えるだけで大変なのに、それを日本的なセリフに再構築した上で、本筋の意味合いを変えずに日本のダジャレを組み込むという大技に憧れたのだろう。

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観光地の土産物屋に買うべきものはないと思うが、モノボケの宝庫ではある。